世界の被ばく
日本は、「世界で唯一の被ばく国」ではありません。
1945年8月、広島、長崎に投下された原子爆弾は、アメリカ・インディアンのナバホ族の土地から掘り出されたウラン鉱石を使って製造されました。
ウランを採掘する現場で、作業員たちや周辺の住民達は、放射能を帯びたウランの粉塵を吸い込んだり、川や地下水に混入した放射性廃液を体内に取り込む形で被ばくしています。
そして広島長崎への原爆投下の前にも、アメリカのニューメキシコ州で大気圏核実験が行なわれています。
1945年7月に行なわれた核実験「トリニティー」では、風下に住んでいた先住民や、危険性を告げられずに実験に立ち会った兵士達が被ばくしました。
そして政府の研究材料であるかのように扱われた彼らの多くは、ガンや白血病に苦しんだ末、命を落としていきました。
その後もアメリカやロシア、フランス、イギリスなどの国々は競って核開発を進め、オーストラリア、ポリネシア、マーシャル諸島、カザフスタンなど様々な地域で核実験が行なわれ、今この瞬間も多くの現地住民達が被ばくの後遺症に苦しんでいます。
さらに、採掘されたウランを燃料用に加工する際に生まれる劣化ウランは、劣化ウラン弾という放射能兵器に作り替えられ、アフガニスタンやイラクなどで通算3000トン以上も使用され続けています。
この劣化ウラン弾は、炸裂した後に放射性物質を空中に振りまき、敵味方や兵士や市民、大人や子どもを問わず多くの被ばく者を産み出し続けています。
広島長崎から9年後の1954年、アメリカ合衆国はマーシャル諸島のビキニ沖で水素爆弾による大気圏核実験「ブラボー」を行ないました。
島に住む人々の多くは、核実験が実施されることを聞かされていなかったそうです。
島の住民や海に出ていた漁師たちは、新たな被ばく者となりました。
ビキニ沖で死の灰を浴びた後に焼津港に辿り着いた「第五福竜丸」の無線長・久保山愛吉さんは、
「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」
という言葉を残して息を引き取りました。
しかし、久保山さんの言葉もむなしく、世界はあたらしい被ばく者を産み出し続けています。
核実験やウラン採掘のほとんどが先住民の暮らす土地で行なわれています。
そして、彼らに対して放射能の危険性を事前に伝えるケースは、ごくまれです。
多くの場合、彼らは知らず知らずのうちに被ばくし、治療ではなく研究のために医療施設に送り込まれていきます。
大地と共に暮らす生活の知恵を保ってきた先住民達が、目の前の豊かさを追いかけ続ける先進国のツケを払い続けているのが今の社会の姿です。
このような出来事は、核開発、原子力開発に限って起こっていることではありません。
2002年に独立を果たした東ティモールでは、1970年代から20年以上もの間、同国の海域内にある石油の利権を巡った軍事侵略をインドネシアから受け続けました。そして人口の約3分の1の人々の命が奪われました。
そして、インドネシアの兵器調達のための資金を支えていたのは、日本政府からの援助金でした。
今現在行なわれているアメリカによるイラクへの侵略も、同様に石油の利権をめぐるものだと言われています。
私たちの使っている石油は、このようなプロセスを経て届いているのです。
また、最近新しく問題になっているのは、携帯電話に使われている「タンタル鉱石」です。
この鉱石を掘り出すための内紛が、アフリカの各地域で起こり、多くの住民が土地を奪われ死に追いやられています。
私たちが現実に目を覚ますのが早いか、彼らの命を奪い続け自らも滅んでいく未来が訪れるのが早いか。
どちらにせよ、私たちひとりひとりの一つ一つの選択が未来を作る鍵を握っていることだけは間違いないでしょう。
自分につながるもの達との関係を見直すことは、
世界を取り巻く不均衡や歪みを正していくための大切な一歩になるのだと、つくづく実感します。
世界のひとつひとつを変えていく為に、身の回りのひとつひとつを変えていくこと。
私たちの無意識な選択の一つ一つが環境を破壊し、命を奪っていたのであるならば、その私たちがこれからの一つ一つの選択を変えていけば、その選択の積み重ねは世界を変えていくのではないでしょうか。
そんなことを日々、思うのです。
拝
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