« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月の5件の記事

2006年12月31日 (日)

晦(つごもり)

今日は、現行の暦であるグレゴリアン・カレンダー(グレゴリオ暦)でいうところの大晦日にあたります。この大晦日(おおみそか)という言葉は、日本が太陰太陽暦(ひとくくりに”旧暦”と呼ばれる事が多い)を採用していた頃から使われていた言葉です。旧暦では1ヶ月の始まりである新月の日を朔日(ついたち)、1ヶ月の終わりを晦日(みそか)と呼んでいました。そして、一年の最後の月である師走=為果すの最終日を大晦日と呼んでいました。

ここで、望月(満月)から晦日(新月の直前)までの月の運行を追いかけてみましょう。

月齢14 望月・・・満月の月の出は、日没とほぼ同時刻です。太陽が西に沈む時、東の空から月が昇ります。

月齢16 立待月(たちまちづき)・・・月の出の時刻は、毎日30分〜50分ずつ遅れていきます。日が沈んでからすぐに月が昇るのが満月。立待月とは、闇が訪れてから数刻後に昇る月。月の出を立って待っていた様が想像できます。

月齢17 居待月(いまちづき)・・・立待月より遅れること1時間弱。立って待つのに疲れ、座って月を待ちます。

月齢18 寝待月(ねまちづき)・・・寝て待つ月
月齢19 更待月(ふけまちづき)
そして、
月齢22.5 下弦の月
月齢25 二十六日月
と続きます。

満月から徐々に月の出が遅れていき、一ヶ月の終わりである晦日の夜はいつまで待っても月が出ない闇夜になります。「晦」は訓読みにすると晦ます(くらます)と読むことができ、晦(つごもり)と読むことも出来ます。つごもりとは、「月がこもる」から来た言葉です。そして朔日(ついたち)は「月立ち」という語源を持ちます。朔日の夜、待ちわびた月を西の空に見つけることが出来たときの喜びを想像してしまいます。
暦と共に過ごすということと自然と共に生きることとが有機的に結びついていた様が見て取れます。月を読むことをやめ、グレゴリオ暦が導入されてから130年強が経ちました。この間の人口急増、西欧化、機械化、環境破壊の勢いを見るにつけ、私たちの生活がどんどんと自然から引きはがされていったことを実感することが出来ます。

雪に映る月の明かり、蛍の光、月のいない空の中でひときわ輝く星の光。闇には闇の美しさがあり、光の存在へのありがたみは、闇に触れることから生まれるものでもあるでしょう。明治維新以降、グレゴリオ暦と共に様々なものが輸入されました。その中のひとつが、闇夜を照らす電気です。気づくと僕たちは、いつの間にか人工的な明かりに依存しきってしまい、闇夜を照らしてくれている月や星々への感謝や愛情を失ってしまっているように思います。

今日はそんなグレゴリオ暦の大晦日。
明日から”月を正す”正月が始まります。天体の運行とリンクしていない暦を使って「月とのチューニングを取り直す=月を正す」ことは難しいでしょうが、私たちひとりひとりの内側にある月との関係を見つめなおす為の機会にはなるでしょう。
私たちが忘れてしまったものは何なのか。失ってしまったものは何なのか。
人工的な光を追い求める社会が闇に葬ってきたものは何なのか。
先代達の残してくれた叡智に触れながら、
私たちに用意された新しい年を祈りたいと思います。

今年も一年お世話になりました。
今後ともよろしくお願いします。

平成十八年十二月三十一日(大晦日)
旧暦:平成十八年霜月十二日

冨田貴史

| コメント (275) | トラックバック (18)

スピリットの帰還

Hokuleaf1

Hokulea2

二十日ぶりの投稿になります。
二十日とは、廿日とも書くことが出来ますね。
「 廿 」という器に蓋をしたようなこの形を眺めながら、マヤの暦が20進法を取り入れているのと同様に日本にも20を一束ねとする文化があったのだろうなと想像します。

明治時代に入るまで日本で使われていた1太陽年360度を15度ずつ区切った「二十四節気」は中国の黄河流域から来ていると言います。現在日本で採用されているグレゴリオ暦のルーツはユリウス暦、さらにさかのぼるとピラミッド文明で栄えたエジプトの太陽暦を元にしたものです。
日本に今ある文化、風習がどこから来たものなのか、暦、言葉、音楽、政治形態、経済の仕組み、法と律、そのひとつひとつの根っこを見つめていくことは、「私たちが何者なのか」に気づくきっかけとなるでしょう。そして、その答や気づきは、これからの私たちがどこに向かって舵を切っていくのかを決める道標となっていくと思います。私たちはどこから来て、どこに向かっていくのでしょうね。

原子力発電所から排出される使用済み核燃料再処理工場のある青森県には、三内丸山遺跡を始めとする多くの縄文遺跡が存在します。そして、それらの遺跡から発掘された土器の中には、6000キロ以上離れた南の島から運ばれてきた(または日本から運んでいった)と言われるものも存在するそうです。
日本で一番原発の密度の高い「原発銀座」と呼ばれている福井県の若狭湾沖には、今から1500年ほど前には沖縄や九州からも頻繁に漁のためのカヌーが行き来をしていたそうです。私たちは海を通してつながっていたのだと気づかされます。

来年の1月、遠く離れたハワイから日本を目指して一隻のカヌーが出航します。現代的な計器類を一切使わない星と風と波によるガイドによる伝統的な航海での旅です。船長であるナイノアトンプソンの生まれ育ったハワイでは、第二次世界大戦後に何度も核実験が行なわれ、その度に故郷を離れて暮らすことを強いられ、放射能汚染による健康障害や死産流産が起こり続けています。
アメリカやオーストラリア、カザフスタン、インド、、、、核兵器や原子力発電の燃料となるウラニウムの眠る鉱山はそのほとんど全ての場所が先住民達の聖地と呼ばれているような場所になります。アメリカインディアン、アボリジニー、その他の土地の先住民達と同様に、ハワイやポリネシアなど「環太平洋」の先住民達は何度も土地とのつながりや自分たちの歴史とのつながりを分断されてきたのでしょう。

ナイノアトンプソンは、彼の出演する映画「地球交響曲第三番」の中で「スピリットは奪われたのではなく、忘れ去られただけだ」と語っています。世界を取り巻く様々な状況を観るにつけ、今こそがひとりひとりがそのスピリットを思い出し、つなぎ合わせていく時期なのだと実感します。

船は、受け入れる港がないと出航することは出来ません。ナイノア・トンプソンの率いるカヌー「ホクレア号」が何を運んでこようとしているのか。その想い、意図、スピリットを僕たち日本人は汲み取ることが出来るのか。共感と敬意と共に招き入れることが出来るのか。彼らを受け入れもてなす僕たちは、どのような民族であるのか。2007年1月21日、兵庫県神戸市で以下のようなイベントを行ないます。ひとりでも多くの方に参加して頂き、気持ちをつないでいけたらと思います。

**************************

 喜びの星(ホクレア号)がやってくる   
    -ポリネシアからヤポネシアへ-
         ースピリットの帰還ー

1月21日(日)  12:30開場  /1:00開演  /6:30終演予定

場所:神戸メリケン波止場 TEN×TEN 
    http://www.k-anchor.org/
    http://www.k-anchor.org/ten/frmeset_t.html

     
ポリネシアの伝統航海術を使って、来年4月にハワイからホクレア号ー喜びの星ーが日本にやってきます。
環太平洋モンゴロイドとしてのスピリットを、わたしたちが再び取り戻し、ひとつの輪になり、これからの時代を創造していくための大きな波がやってきていることを感じます。

そこで、このホクレア号来日プロジェクトに深く関わっておられる日本でのシーカヤック第一人者で海洋ジャーナリストである内田正洋さんと、ネイティブアメリカン関係の翻訳・著作を多数手がけていらっしゃる北山耕平さんをトークゲストにお招きし、ホクレア号がヤポネシア・日本にもたらす意義について、熱く語っていただきます。

音楽ゲストは、HALKO(桑名晴子)さん、岡野弘幹さん。そして、西表島出身の歌い手・南ぬ風人まーちゃんに開会のお祈りを捧げていただきます。
 
みなさん、ぜひ神戸の波止場までお越しください。

【プログラム】

12:30 開場
1:00 開演〜主催者挨拶
    開会の祈り 南ぬ風人まーちゃん

1:30〜2:30 内田正洋さん トーク
           「去(い)にし、ヤポネシアへ」 
            ※「去にし」とは、西の語源といわれる。
ー15分休憩ー

2:45〜3:15 HALKO ライブ

3:20〜4:20 北山耕平さん トーク
          「虹の教え」
           ー虹の子供たち(ポリネシアン)から
            太陽の子供たち(ヤポネシアン)へー

ー25分休憩ー

4:45〜5:45 トークライブ
           内田正洋さん×HALKO×北山耕平さん
          「”喜びの星”がつなぐ環太平洋の架け橋」

5:50〜6:20 岡野弘幹ライブ
           (友情出演・ノブトウマサザネ)

6:20〜6:30 終わりの挨拶、唄

 
【参加費】 
   前売り:3,000円 当日:3,500円
   大学生:2,000円 
   高校生以下:1,500円 

  ※マイカップ・ひざ掛けなど暖のとれるものお持ちくださいね。

【 問い合わせ・前売り予約先 】 
 ご予約は、お名前、住所、TEL、Mail、参加人数をお知らせください。 

☆ランド・アンド・ライフ 
   T/F 078・881・8163
   landandlife@r6.dion.ne.jp
☆ one blood 
   T/F 06・6241・8357
   info@oneblood.net
☆ モダナーク・ファーム・カフェ
   Tel  078・391・3060 
   modernark@chronicle.co.jp(1.21予約係へ)

【 ゲストプロフィール】

内田正洋 Masahiro Uchida 

1956年長崎県大村市生まれ 横須賀市在住
海洋ジャーナリスト

高校時代は花園に出場したラガーだった。日大の水産学科でカッター部に所属。卒業後、テレビの海外取材番組「キャラバン2」のドライバーとなったことがっかけとなり、82年から10年間パリ・ダカールに参戦。オートバイジャーナリストとして活躍するが、その後シーカヤックを専門とするジャーナリストと なる。
98年初来日したハワイの伝統航海術師ナイノア・トンプソン氏を通じて 「ホクレア号」と運命的に出会い、「ホクレア号」が日本に航海する意義を探索し続けてきた。
また、ハワイ人タイガー・エスペリが夢見た日本のカヌー、「カマ・ ク・ラ号」(ポリネシア語で“陽出ずる子供”の意)の建造を目指し、 模索の日々が続いている。
祖母はカウアイ島の出身。

           ☆

北山耕平 Kohei Kitayama 
      作家、翻訳家、編集者
     http://www.native.way-nifty.com/

大学在学中から編集の仕事に携わる。’76より4年間をアメリカで過ごし、ネイティブ・アメリカンのメディスンマンとの出会いをきっかけに、彼らの暮らしぶり、物語を日本の次の世代に伝え、日本列島のネイティブ・スピリットの根っこを探るワークを開始。
著書訳書に『自然のレッスン』『虹の戦士』『ジャンピングマウス』(太田出版)、『ネイティブマインド』『ネイティブマインド』『輝く星』(地湧社)、『自然の教科書』『聖なる言の葉』(マーブルトロン)、『ローリングサンダー』(平河出版社)、
『レイムディアー』(河出書房新社』 他

         ☆

南ぬ風人まーちゃん (ぱいぬかじびとぅ まーちゃん)
     唄い手、三線      
     ※「風人」=自然と共に生きる人、思いを持つ人
     http://www.painukaji.com

沖縄県・西表島 星立村出身、本名 山下正雄。     
『風人』(かじぴとぅ)という理念のもと、オリジナルや島唄を唄い、みんなが楽しめる、唄って踊ってもーあしびーライブを展開。「唄って踊ってみんなハッピー」を合言葉に『NGO風人ネットワーク』を主催し、各地で仲間と共に『風人の祭』をつくり、平和や環境問題に取り組んでいる。
西表島では、2006年で10回目をむかえる「砂浜芸能祭」や「やまねこ学校」をひらき、「三線教室」「ブドゥリ太鼓」「パパイヤうぽー軍団」など、「人・自然・文化」をテーマに多彩な活動を行っている。

      ☆

HALKO  (桑名晴子)
    日本中をギター一本で旅する唄旅人
    http://www.funny.co.jp/halko/

年間190本以上のライブのほか、各地の神社・仏閣などの聖域にて、数多くの奉納演奏を行う。
2006年デビュー30周年を迎え、10年ぶりのCD『ONE』発売を記念し、全ての平和の祈りがひとつになる願いを込めて、稚内宗谷岬から戦没者慰霊祭の沖縄までの「日本縦断平和祈念こころの唄旅」を半年間で達成する。

 「超古代ややまとの人々が、和をもって、超自然的に暮らして
  いたことを気付き思い出し、未来の子どもたちに、新しい
  平和な世界を築いていけるよう、声高らかに唄っています。」
                      HALKO                     

      ☆

岡野弘幹 Hiroki Okano  
     作曲家 音楽プロデューサー 
     www.tenkoo.com/okanohiroki

1964年生まれ。87年よりソロ音楽活動を開始。世界の民族楽器、自然音、デジタルサウンドを融合し、自然界への畏敬や感謝を日本的感性で、清浄に、そして透明に表現した音楽が、 ヨーロッパ・アメリカで高い評価を得る。音楽グループの活動では、91年民族楽器によるグローバルミュージック『風の楽団』、94年天空オーケストラを結成。RAINBOW2000での細野晴臣氏との共演、フジロックフェスティバル1999、2002に出演。世界的規模の音楽祭グラストンベリーフェスティバルUKには8年間にわたり出演。

             ☆

【 ホクレア号(喜びの星) について 】

古代の航海術を駆使して、太平洋に散在する島々にたどり着き、定住を始めたというポリネシア人起源・拡散説。その科学的な立証を主な目的に建造された古代式の航海カヌーが「ホクレア号」。ハワイ語で、喜び(幸せ)の星 〈Hokule‘a〉 と名づけられたこの航海カヌーは、古代ポリネシア人がハワイ諸島を発見した当時の形状を 模し、天体を読み、波や風を感じ、海洋生物と語り合う、伝統的な航海術ースターナビゲー ションーによって針路を決定する。
1976年のハワイからタヒチへの初航海以降、現在までの航路距離数は 10万マイルを超える。この30年間の航海の実績は、ハワイ社会の西洋化によって忘れられかけていたポリネシアの文化とアイデンティティ復興の象徴ともなっている。
2007年1月6日ハワイを出航し、ミクロネシア各島に寄港した後、 4月1日沖縄に入港。
そして、熊本、長崎、福岡、山口、広島、宇和島、横浜を寄港地とする 航海を予定している。
http://www.gohawaii.jp/history/hokulea/hokulea01.html

          ☆

【 ヤポネシア とは 】

ヤポネシアとは、日本を太平洋の島與群の中に置いてみる視線で、メラネシア、ミクロネシアと同様、作家島尾敏雄により、「JAPONIA」(日本)と「NESIA」(島々)を結びつけた造語である。

          ☆


主催 地球の上に生きる
共催 ランド・アンド・ライフ www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/~

| コメント (337) | トラックバック (30)

2006年12月11日 (月)

日々是好日

今日は、環境ビジネスのアイデアコンクールの受賞者の取材のために仙台に来ています。

そして、仙台に住む友だちの家でゆっくりさせてもらっています。
なんとなく、この場所で書く事に意味ある気がして、
走り書きですがトピックを上げることにしました。

さて。
12月13日から暦と時間をテーマにしたワークショップが続きます。
ひとつひとつ、縁とタイミングでパパっと決まっていったのは、来たる冬至がこれからの時間を生きていく上でとても重要なアチューンメントの時であるという事を示しているような気がしています。

さて。
食に意識を向けていくと、心身のバランスが整うのと同様、
呼吸に意識を向けていくと、心身が健康になっていくのとも同様、
「時間」に意識を向けていくことは、時間との調和の取れた生活を産み出していくものと思います。

時間とは呼吸のようなものですね。
太陽も呼吸しているし、太陽系全体が呼吸のような活動をしています。
因果という法則も、時間が呼吸のようなものだという事を示しています。
マヤの20進法というものもやはり、10と10の呼吸のようなリズムだと思います。

陰陽もそうですね。
陽が極まると陰に転じる。
これも呼吸と一緒ですね。

そろそろ、陰の極みである「冬至」を迎えます。
地球は太陽の回りを回りながら、夏至から数えて180度のポイントまで進んできたわけです。


時間とは何なのか。
時計とは一体何を計っているものなのか。
カレンダーとは何なのか。
人はなぜカレンダーを使っているのか。
なんのために?

このような問いかけは、ひとりひとりが自分自身に投げかける必要のあるものでしょう。

もし無意識であるなら、それは時間の中で生きるという事に対して主導権を手放しているということにもつながります。

自然との分断、孤独感、すべてのものが分ちがたくつながっているという実感のなさ、それらを産み出している要因の大きな大きなひとつは、「時間感覚」だと思っています。
この時間感覚を取り戻していく(思い出していく)ことは、調和と平和の社会の構築にとって不可欠だと思っています。

自然のサイクルと同調していない機械時計、歪みのある形のカレンダー、これらを使い続けることで生まれる機械時間に支配され追い立てられる生活。
給料の支払日、家賃の支払日、を起点にしたバイオリズム、時間のサイクル。
時間がお金に結びつく考え方と、その考え方に支配されている社会。
そこにどっぷり浸かって、なおかく自然のサイクルに目を向けず、その状態で過ごしていたら、当然、不健康な状態になります。
そして、時間を見つめていく行為を続けていくことは、自分自身の本来の姿を思い出していく行為にもなるでしょう。

私たちの体と心は機械ではなく、オーガニックでナチュラルなもの。

月を見る。
月を読む。

たったそれだけを毎日続けるだけでも、
心身の状態はガラッと変わるでしょう。
日本にはその叡智がありました。
今、取り戻すべき最も大切なものの一つだと思います。

電気を消して、闇を愛すること。
闇を照らす月と星に感謝すること。
毎日空を見上げ、宇宙の中で私はどこにいて、あなたはどこにいるのか。を知る。
それだけで、私たちは「つながり」を思い出すことが出来るように出来ているのだと思います。

私たちを支配するものは何一つありません。
支配されていると思っているとしたら、それは幻想だし、闇を恐れているとしたら、それも幻想です。
すべては自由であり、有機的であり、可変的であり、、、
すべてはつながりあって、「今」という時の奇跡を産み出しています。


さて。
暦のワークショップのスケジュール教えて〜という声に応じるべく、時間と場所をまずは紹介します。
何を話すかは、その時にならないと分かりませんが、。
以下、レジュメというよりはメモです。


12月13日
神無月廿三日
春分より268日
律動の月1日
kin89(11・月)
11:00頃〜(1500円)
場所:rainforest(名古屋市緑区)

ここでのワークは3回目。
オーガナイズしてくれているシノブちゃんが、
経皮毒について詳しいので、「毒」と「薬」の話をします。
陰陽とか、因果とか、対になるものが世界を創っているということ。
対、二重らせん、そして、太陽系と対になっている「シリウス」について話します。多分。
あとは、流れで。
そうそう。
この日は夕方から「六ヶ所村ラプソディー」の試写をするので、環太平洋をつなぐ被ばくや核の話もします。

上に書いた事はすべて、時間の仕組みと関連のあることです。
循環、因果、先住民の歴史、それらを時間の法則に即して話していきます。


12月18日
神無月廿八日
春分より273日
律動の月6日
kin94(3・魔法使い)
19時〜(1500円)
場所:まあむきっちん(岐阜県養老)

こちらでのワークは、今年に入って6回目。
28日サイクルでやっております。
まあむキッチンはホリスティック医学の「船戸クリニック」のとなりにある
マクロビオティックのお店。
今回は13の月の暦の6番目の月「律動の月」バージョンです。
ひとりひとりのマインドをシャッフルさせて活性化させるために、意識で規制をかけることなく「思いついたことをひたすら書く」といった、自分自身とのコミュニケーションの活性化を図るワークをしようかな。
あとは、また思いついたら追記します。


12月19日
神無月廿九日
春分より274日
律動の月7日
kin95(4・鷲)
14:30〜(拝観料1000円、ワーク参加費1000円)
場所:八瀬瑠璃光院(京都府京都市)

天武天皇が壬申の乱の際に背中に矢傷を負い、
治療を受けた寺と言われています。

その時代はずばり、日本で初めて公的に暦が導入された頃。
今から1300年ほど前に、日本の「暦」の歴史が始まったんですね。
この寺の近くには、陰陽道の大家である賀茂家の祖神が降臨した山もありつつ。。
ってことで、まぁディープな話になっていくでしょう。

和暦、陰暦、マヤ暦、少し古い(懐かしい)時間の感覚や概念についての話をします。
当然ながら、現代に応用出来るように伝えます。
叡智は永遠のものですので。

同日
19時半〜(参加費未定/ワンドリンク2000円以内になりそうです)
場所:カフェピース(百万遍通りの交差点そば)

平和と調和と時間について。
こよみとは、みたいな話をゆっくりしましょう。

12月20日
霜月朔日
春分より275日
律動の月8日
kin96(5・戦士)
14:00〜/19:00〜(確か、1500円〜2000円)
場所:モダナークカフェ(兵庫県神戸市三ノ宮)
286623475_93

神戸ということで。。
新月ということで。。。
朔日とは。望月とは。
月と地球の関係。
月と太陽の関係。
冬至、春分、夏至、秋分。
今、太陽系の中で私たちはどこにいるのか。
時間意識のアチューンメント。

12月21日
霜月二日
春分より276日
律動の月9日
kin97(6・地球)
14:00〜(1500円)
場所:木村屋旅館(和歌山県和歌山市)
和歌浦を眺めながらのワーク。
この時間まで皆さんレイキのワークをやっているそうなので、
レイキと絡めた話をしましょう。
そして、「アチューンメント」についてや「チャクラ」についてなど、
身体感覚、波動、その辺りの話を中心に。

12月22日
霜月三日
春分より277日(冬至)
律動の月10日
kin98(7・鏡)
14:00〜/18:00〜(各1500円)
場所:ハルモネアン(大阪府箕面市)

冬至ですからね〜。
盛り上がります。
夜はキャンドルナイトです。
電気を消して、闇の中の光を愛でる。

キャンドルの配置を使って惑星や恒星の動きを
イメージしてみましょう。

以上、グレゴリオ暦の2006年の間に行なわせて頂く、
時間に関するワークショップのお知らせでした。

| コメント (292) | トラックバック (12)

2006年12月 4日 (月)

個から個へ

この投稿は、前回の「瞳は魂の窓である」の続きです。

さて。
例えば前回の投稿の中で、メディアやジャーナリズムに対する批判のような文章があります。
しかし、それは非難ではありません。
むしろ僕たちはジャーナリスト達との連携をもっともっと深めていく必要があると思っています。
その為の方法は色々あると思います。

アメリカがイラクへの侵略を始めた2003年の春、
僕は名古屋で、同年代の仲間たち数人とジョンレノンの「イマジン」の歌詞の書かれた50枚以上の巨大な旗を
持って、平和を祈りながら歩くという「イマジンピースウォーク」を主催しました。
一週間にも満たない準備期間にも関わらず、500人以上の方に参加して頂くことが出来ました。
その大きな理由は、新聞各社が僕たちの事を好意的に取り上げてくれたことにあります。
そして、記者の皆さんがおっしゃっていたのは、
どこの団体にも属さない若者がこういったアクションを起こすのは、名古屋では珍しいことだ、
という事でした。
そして多分、その「何にも属さない」ことが、「何にも対立しない」ということにつながり、
新聞の記事に取り上げやすかったのでしょう。

「どこどこの誰」ではなく、
完全なる自己責任の上で個人としての「冨田貴史」という自覚を持ち、
「何々新聞さん」ではなく「新聞記者の何々さん」への敬意を持って向き合う。
そのことでお互いの距離感がぐっと近づくことを実感します。

僕は今、毎日新聞を購読していますが、その理由もそういったところにあります。
毎日新聞は、ほとんどの記事について、その記事を誰が書いたかが分かるようになっています。
なので「この記事はイマイチだった」「この記事はとても良かった。続けて下さい。」という事を
伝えやすいのです。
特に後者のような、「良い記事を書いた記者を評価する」という行動は、
ちょっとしたことではありますが、
市民とジャーナリストがともに育っていく上でとても大切な行為だと思います。
最近は封書やはがきでなく、メールでのコメントも気楽に送れるようになっています。
時には目を覚まさせるような抗議も必要でしょうが、
基本的には「良い仕事を正当に評価する」という姿勢が大切だと思います。

個と個の間のコミュニケーションについては、政治家ひとりひとりに対しても同様でしょう。
僕の知り合いに、国会議事堂や議員会館でロビイングを続けている市民ロビイストの関義友さんがいますが、彼の議員や議員秘書への声のかけ方は、時には友人と交わす挨拶のようです。

政治と国民の間の距離感が埋まらない原因は、ひとりひとりの政治家を「個」として捉えたり、
自分自身を独立した「個」として捉えた上でのコミュニケーションが希薄になっていることもあると思います。

来年の夏には参院選が控えていますが、選挙だけが政治参加ではありません。
議員さんにとっては、特に自分が選出された選挙区内からの意見には敏感になっているはずです。
「1枚意見を述べるファックスが送られてきたら、その意見の後ろには50人の支持者がいると思っている」という言葉も聞いたことがあります。
僕が2005年9月に参加した「全米平和省会議」では会議が終わった後、
全米各州から集まった市民がそのまま上院、下院の議員会館を訪ね、各州から選出された国会議員の事務所に「平和省設立法案」への支持の依頼をして回りました。
このような日常的な政治家とのコミュニケーションが活性化されていけば、
日本の政治も変化していく可能性は十分あると思います。

このような関係性の構築は、自治体や省庁のスタッフとの関係にも当てはめられると思います。

国家批判、政治批判といったものがありますが、
結局その中で働いているのは、ひとりひとり個性を持った人間です。
例えば「環境省がこんなことをしている」というのと、
「環境省中部地方事務所の総務課の何々さんが、こんなことをしている」では、
同じ事実を指していても、リアリティの度合いが全く違ってきます。

例えば、環境省は、数年前から各地方への出先機関として「地方事務所」というものを
設立して、地元のNPOや市民との連携を計ろうとしています。

僕も前述の「環境省中部地方事務所」の総務課長さんと親しくさせて頂いています。
僕たちが企画運営しているイベントやプロジェクトのミーティングに、個人として参加して下さっています。
おかげで、行政の生の声や状況について、かなりリアルにイメージ出来るようになっています。

最初に同事務所とご縁が出来たときは、僕もかなり厳しい意見を伝えたものです。
環境省主催のイベントを手伝って欲しいという相談を受けたのが最初のご縁です。
イベントをなめているんじゃないか、そんなやっつけの企画では市民が参加したくなるはずがない、
などと、思い切り自分の意見を伝えました。そして、意見を伝えた者の責任として、
そのまま企画を引き継ぎ、当日の舞台監督を務めさせて頂きました。
石油を巡る戦争の被害を受けている東ティモールのアーティストのライブや、
地元名古屋で環境活動、町づくりの活動をしている仲間を集められるかぎり集めました。
イベント当日までの準備期間が限られていたこともあり、はっきり言って納得のいくイベントになったとは思っていませんが、イベントが終わった後にお互いの口から出てきた言葉は一緒でした。
「これが始まりですね。ここから連携していきましょう。」

顔の見えないところで批判し合ったり牽制しあう関係に、ポジティブな未来はないと思います。
顔の見える距離感で、自己責任の上で本音をぶつけ合うことで、
最初は違和感のある関係も少しずつ変化していくことを実感しています。

そして、お互いの連携を深めていく上で、もう一つ大切なことは「もてなし」だと思っています。

前述の環境省中部地方事務所主催のイベントが終わった後、
イベントの打ち上げを企画して、皆さんをお招きしました。

僕たちのスタイルを知ってもらいたかったし、
皆さんを名古屋の仲間として受け入れましたという意思表示をしたかったのです。
ということで、普段インド舞踊や民族音楽のライブを行なっているスペースで
手作りオーガニックカレーやチャイを用意し、
東ティモールの音楽を日本に伝えている小向定君のアコースティックギターによるミニライブや、
電気を消してミツロウのロウソクに火を灯して平和を祈る時間を過ごしました。
立場や所属を越え、皆で火を囲み、手をつないで祈りました。
自分のことを知って欲しかったら、自分の最もベストと思えるものを捧げればいい。
それは、理屈ではなく真実です。

平和とは、相反する二つがあるからこそ産まれるもの。
その二つが、ひとつの目的に向かいプロセスを共有することで産まれるものと認識しています。
そしてその二つをつなぐものは愛であるということを、体験を通じて実感しています。

陰と陽は、お互いの存在があるからこそ、生きていける。
そして日本は、東洋と西洋の狭間。
その中心(平和)を指し示すことが出来る国であると信じています。

もちろん、その「国」は団体ではなく、ひとつひとつの「個」の集まり。
わたしからあなたへ。
あなたからわたしへ。
愛とともに。
美しさとともに。
すべての道は、わたしたちがひとつであることを知る為のプロセスであると信じます。

| コメント (45) | トラックバック (1)

2006年12月 2日 (土)

瞳は魂の窓である

ここ数年、戦争体験者の生の声を聞く機会が多い。

彼らの多くが、「今の日本は、戦前の状況にどんどん近づいていっている」と語ります。
当時の記憶がよぎるのでしょう、彼らの声や表情から、本気で恐れを感じているのが分かります。
彼らの話を聞いていると、国家を「戦争を仕掛けるプロ集団」と言い換えることも出来るなと思ってしまいます。

憲法を変えて戦争を出来る国にしようという意図は、随分前から感じています。
そして今、まるで詰め将棋のように、そのための準備が進められている事を感じます。
「教育基本法」の改正、防衛庁の防衛省への格上げ、共謀罪の制定、国民投票法の改正なども現実化しそうな勢いです。
この文章内では、それぞれの詳しい説明は省かせて頂きますが、今何が起こっているのかの情報共有は急務だと思っています。
マスメディアが取り上げないなら自分たちの手で。
なるべく分かりやすい方法で情報をシェアしていきたいものですね。

教育やメディアコントロールを通じて、国民の思想や考え方を統一させ、
国民保護法や有事法制、共謀罪や国民投票法の改正によって、国民の発言や行動の自由を統制し、
都道府県の知事をスキャンダルでつるし上げ、地方財政を締め付け、
国家の意向や国策に対して従順な地域や国民を育てていく、
そういった強力なコントロールと並行して、戦争の出来る国、強い国にするための準備も具体化しています。今や核武装の可能性についての議論は日常的に行なわれているといいますし、安保の改正や基地再編も加速しています。
そしてとどめの一手は憲法改正でしょう。
憲法とは本来は、国民が国家を監視するためのもの。
しかしそのような事実は、どこか遠くに飛んでしまったかのようです。
国民主権や基本的人権の尊重はどこにいってしまったのでしょうか。
同じ「平和憲法」をもつコスタリカでは、
イラク派兵を進めたアメリカを支持すると表明した大統領を憲法違反だと訴えた大学生が全面勝訴した例もあります。武器を持たず軍隊を持たないことを誇りに思っている彼らとの意識の差を思うと悲しくなってきます。

そして新聞やTV、ラジオ、マスメディアが国家や経団連の飼い犬のようになっている現状は目を覆わんばかりです。
例えばこんな話があります。
イラクから自衛隊が撤退する際、新聞テレビ各社はクウェートで自衛隊員を取材する事になっていたそうです。
しかし、土壇場になって自衛隊の広報担当者から「ここでの取材は出来なくなりました。これは東京からの指示です。」と言われ、すべての取材はNGになりました。防衛庁とマスコミの間に事前合意が取れていたにも関わらず、土壇場でキャンセルを受けたわけです。
これは明らかな報道規制です。規制を行なう防衛庁も防衛庁ですが、彼らの体質は、戦前から変わっていないとも言えるでしょう。残念なのは、メディア側のリアクションのなさです。このような対応を受けて「おかしい」と思わないメディア、または思っても声を上げないメディアの姿を見るにつけ、情けない気分になってきます。
戦時中の新聞を読むと、当時のメディアがいかにコントロールされていたかがはっきりと分かります。
敵国のダメージは、実際よりも大きく表現し、自国の被害に関してはほとんど触れず、
国民の戦意を喪失させないようにという意図が明確に現れています。

原子力政策についても同様です。
スポンサーを悪く言うことは出来ないという理由で、原子力政策を批判するような記事は書けないし、そのような映画や本の紹介も出来ません。
鎌仲ひとみ監督の映画「六ヶ所村ラプソディー」や、古長谷稔さん著の「放射能で首都圏消滅—誰も知らない震災対策」が総スカンを受けている状況を見てもはっきりと分かります。
逆に原子力政策のイチオシ企画である「プルサーマル」の宣伝費は50億円だそうです。
ひとつひとつの状況を見るにつけ、世の中はここまで狂ってきているかと、笑いすら生まれてしまいます。

僕は5年前までソニーミュージックという大企業に在籍していました。
膨大な量の業務に忙殺される日々に限界を感じ、「正気に戻るには立ち止まるしかない」と思い立ち退職しました。だからこそ、おかしいと感じながらも止まれない社会の姿やその中で日常をこなす事で精一杯で現実を見渡す余裕のない精神状態も、痛いほど分かります。
だからこそ、気づいた人間が声を上げるしかないと思っています。
現実を見る余裕のある者が、しっかりと今起こっている事に目を見開き、自分の見て感じているリアリティを伝えていくしかないでしょう。
今のこの世界は、まるで沈みゆく船のようです。
そして、もうすでに客室に水がしみ込んでいるにも関わらず、気づかぬふりをしているようですらあります。
戦争と侵略によって人を殺す事で国を守ろうとしている人たち、死者が出る事を前提とした原子力産業を推進する人たち、そのような人々も含めて大切な命です。
これ以上無駄な死を目の当たりにしたくありません。
ひとつひとつの命は、奇跡と奇跡の積み重ねによって生まれたものであり、命の螺旋はこれからもずっと続くもの。
無駄な命などひとつもないのです。
その事を感じている仲間同士で助け合い、知恵と勇気を分かち合いながら、本気で方向転換を計る必要があるでしょう。
それが出来るのは今しかないかも知れません。2、3年後には、日本国内では戦争反対の声を上げることすら出来なくなっているかも知れません。
そんな未来を現実にしないためにも、目を覆いたくなるような現実も含めて、今世界で起こっている事に対して目を見開いていく必要があると思います。
それが本当の「意識の目覚め」であると、心からそう思います。

| コメント (301) | トラックバック (6)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »