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2007年11月14日 (水)

239【熱意とは】

熱意とは事あるごとに意志を表明することである

僕の好きな言葉。

水俣病の患者をひとりひとり訪ね、その声を聞き(株)チッソに直訴し続けた熱血の人、
川本輝夫さんの言葉である。
自身も水俣病を患い、父の悶絶死を目の当たりにした氏の深い悲しみ、怒り。
そして、病気による苦しみだけでなく、社会的差別や隔離といった形で二重三重の苦しみを味わってきた患者のひとりひとりに寄り添い、その心に耳を傾け続けた優しさと命への熱意、その声を代弁し続けることに捧げた一生。
かくありたいと思う。

様々な理由で声をあげることが出来ない人たちに、「声をあげよう」と言うことは簡単だ。
でも、そんな彼等の声を、不条理な現実を知っていながらも声をあげない彼等の心の声を、
僕達は本当に聞く事ができているのだろうか。

僕が小さな上映会や、小さな勉強会、ワークショップを続けている理由はそのあたりにもある。
相手がどんな人間であれ、心を開いて人の話に耳を傾ける行為は、調和的な人間関係を育む。
「聞いてもらえている」という安心感は、その人をリラックスさせていく。

「思ったことを話していいんだ。」という感覚をしっかり抱いている人は、思ったよりも少ない。
教育やメディアや政治のあり方、日本という国が作られて来た歴史による影響も大きいだろう。
そのような感覚は、
「正しい事を言わなければいけない」「間違ってはいけない」という思いにまで発展している。
そして結果として、声をあげる勇気は摘み取られ、
そのことが、政治を政治家任せにし、経済を経団連任せにし、エネルギーを資源エネルギー庁と電気事業連合会任せにしていることなどにもつながっている。


温暖化の原因と対処法、
原子力の弊害と代替案、
戦争をともなう経済と共生のための経済、
そのような知識や情報を共有することと同時に必要なことがある。

それは、そのような知識や情報を手にとって触れるようにすること。
その知識を、自分のものとして扱えるようにすること。
それらについてどう思うか、それを実行に移すために足りないことはどんなことなのか、
それが出来ないという不安や葛藤や矛盾はどのようなものなのか。
どのような障害があり、どのようにすればその障害を取り除けるのか。
それらについて、膝をつきあわせて語らう場が必要だ。
そのような思いが、僕の今やっていることの背景にある。

人間は完璧ではない。
不完全だ。
どんな正論もいらない。
ただしさを押し付けたり、一方的な価値観に従わせるようなロボット社会ではなく、
不完全な個人が、不完全なまま、ありのまま生きていける、
生きていることが許されているという実感を感じられる世の中を望む。


今の日本は、かたち上は言論の自由があると言われているが、その実はどうだろう。
声をあげることが恐い人の、その恐怖を癒しあうべきだ。
原発について、憲法について、職場や学校では語れないと感じる人達が交流できる場を創りたい。
のびのびとそのままの自分を表現できる場が当たり前の日常になっていく日が訪れることを望む。

六ヶ所の空を飛ぶ鳥たちは、今も放射能に汚染された空を飛び、
海を泳ぐ魚やプランクトン達は、放射性廃液にまみれた海を泳いでいる。
声もあげることなく。
30年以上続く、政府や経団連からの圧力によって口をつぐんでいる住民の声。
僕達は彼等の声なき声を聞くことが出来るのだろうか。
その声を届けることは、できるはずだ。
熱意さえあれば。

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