281【やんばる東村高江の現状】
今日はいきなりトーンが変わるけど、
ちゃんと読んでくれるとうれしい。
とてもとても、大切な話です。
米軍演習用のヘリパッドを新たに沖縄県の北部、
東村の高江区に作る計画があります。
高江の住民を中心にしてヘリパッド建設予定地のゲート前で
座り込みを始めたのは2007年7月。
僕は、この土地を2007年2月に初めて訪れた。
まだ作業が始まる前の、もちろん座り込みも始まるまえの、
今思えばまさに台風の前の静けさのような時だった。
ジャングルかと思うような森の中に立つ、
石釜でパンを焼くカフェ山甕(やまがめ)。
豊かな森と豊かな水。
ゆったりと流れる時間。
そんな東村高江の公民館を使って、
「六ヶ所村ラプソディー」の上映会を開かせていただいた。
前述の山甕のゲンさんやスタッフのユリちゃんなどが中心になって、
30名ほどを集めてくださり、新しく建設されようとしている基地のことと六ヶ所のことを重ねて思いを語り合った。
できてからでは遅いんだ。
今、もっときちんと声をあげないと。
でも、今から何か言ったって、もう仕方ないだろう。
村の中でも意見は分かれていた。
高江という地区は、村の中でもはずれのほうなので、
ヘリパッドが出来ても騒音で苦しむのはごく一部の人たちだけになるかもしれない。
でも、一部といったって、100人はいるだろう。
近くには小学校もある。
ヘリコプターの騒音は、本当にうるさい。
そして、米軍は特に最近、沖縄本島内のあらゆる基地で、昼夜関係なく、住民の生活に対して一切配慮してないかのように、演習を続けている。
イラク侵略のいきづまり、苛立ちが、そのまま伝わってくるようだ。
2回目に高江を訪ねたのは、8月16日。
7月に始まった座り込みが奏功したのか、
作業の手が進展することもそれほどないままに夏を迎えていたが、
この日、いきなり30名以上もの作業員がヘリパッド建設予定地の前のゲートに現れた。
そして、無言で「ゲート前駐車禁止」「作業の妨害行為禁止」などの看板を貼り付け、去っていった。
「警告はしたからな。これからは好き勝手はさせないからな。」とばかりに。ほとんどの作業員は終始無言だったそうだ。
ロボットのようにワラワラと現れ、ロボットのように無言で作業をこなし、去っていく。
僕はその嵐のような出来事からほんの30分後にゲートにたどり着き、生々しいその話を直接聞いた。
その後、8月26日にはトラックとユンボを導入しての強引な作業が始まったが、沖縄各地から集まった人たちが体を張って作業を食い止め、
何とか翌日以降の作業を防ぐことが出来た。
これはすごいことだ。
非暴力で、手を出すことなく、からだを張って作業員の前に立ちふさがるだけで、食い止めたのだから。
そんな気合の阻止行動によって、ゲート前にも静けさが訪れた。
uaや花&フェノミナン、dinka dunkなど、ミュージシャンも多数足を運び地元の人々を勇気付けるコンサートが開かれたり、
先日は「やんばるからのメッセージ」というタイトルをつけた高江の現状を収めた映像を撮り続けている比嘉真人くんと前述のユリちゃんの結婚式も行われた。
この沈黙がいつまで続くかと思っていたが、
12月25日、50名の作業員が一挙に押し寄せてきたそう。
よりによってクリスマスに。
悲しくなってくる。
8月16日もそれを思った。
終戦の日、平和祈念の日の翌日にそれをするなんて、
とにかく住民が気を抜くそのタイミングを計っているようにしか思えない。
その、相手を人間として見れない壊れた心を、悲しく思う。
詳しくはこちらのブログ参照↓
「やんばる東村高江の現状」http://
現地に行ってはっきり感じましたが、
当然ですが座り込みだけでこの基地建設をとめることは出来ません。
彼らは、食い止めているだけです。
言ってみれば、時間稼ぎです。
この問題は日本全体の問題であるにもかかわらず、
私たち国民のほとんどが
「沖縄のことは他人事。私には関係のないこと。」と
思っているように感じます。
その無責任、無関心、思考停止、リアリティの欠如によって、
彼らを孤立させているということこそが、大問題。
日米政府の間で決定がなされ、
防衛省が方針を立て、
そして現地の防衛施設局員や下請けの業者たちが現場に立っている。
現場にいる作業員たちは、言ってみれば末端だ。
座り込み現場で住民たちが向き合っている相手は、
目には見えないけどそれだけ巨大な力なのだ。
これだけの力を、村の人びとが食い止めることができるはずがない。
彼らが作ってくれている時間を、私たちは有効に使わなければいけない。
為政者たちは、私たちにぼーっとしていてほしいと思っているだろう。
そして、その逆を望んでいる、平和と覚醒を望んでいる人々が、
沖縄の高江に、辺野古に、
新規の原発立地計画のある山口県の上関に、
もんじゅの再始動を検討されている福井県に、
プルサーマル計画を受け入れつつある佐賀県に、
六ヶ所に、イラクに、貧困にあえぐ世界各国に、
今も昔も存在し続けている。
私たちは、このまま眠り続けるのか、それとも目を覚ますときがくるのか。
高江で起こっていることを、ぜひ一人でも多くの方に知らせてください。
知られている、という事実だけでも、現地の人々を支える力になります。
そして、
「私に何が出来るっていうの?」
なんていう言葉を安易に投げるよりも、
その問いを自分自身の中に投げ入れてほしいと思います。
いちいち他人に答えを求めないこと。
その思考回路が変わらない限り、この構造はかわらないでしょう。
他者依存。不安。
誰かがやってくれるからいいや、
誰かが考えてくれるからいいや、
という集合意識による世界。
搾取と殺戮と、差別と隠蔽と、
それらによって自分の生活を支えてもらうことが心地よいと思うのか、
もっと違う生き方があると思うのか。
違うと思うなら、自分の意思で、自分のハートで、
オルタナティブな選択を探さなければいけないと思います。
私たちはみな、
ひとりで生まれてきたし、死ぬときはひとりで死ぬのでしょう。
であるならば、私の中に生まれてきた疑問は、
私の中でこそ育て、熟成し、答えを創造するように出来ているように
思います。
ヴィジョンクエストの方法を失いかけて久しいこの日本列島にすらも、
私たちが何者であるかを探し出す道しるべは残されているでしょう。
来年は子の年。
胎児を宿す「子宮」のように、
私たちひとりひとりが人工的、機械的な社会の中でロボットのように生きる生き方から目を覚まし、
自分のハートと、
自分のからだと、
自分の精神によって、
世界に目を見開き、命をかかわらせていけるような年になるよう、
心から願います。
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