« たまには暦と五行の話を | トップページ | 共存 »

2008年11月 2日 (日)

公共事業の行く末

今日は長崎県の諫早に来ております。

諫早と聞くと、「干拓」という言葉を連想する人も少なくなくなくないでございましょう。


最近は、新たに新幹線を作る計画があり、この計画が現実になれば、

この諫早の集落をぶち抜いて線路が通ることになるようです。

先日は、宮崎の赤江浜というサーフスポットを訪ねました。

ここには、地元のサーファーや環境保護を訴える市民有志による反対にも関わらず、
人工リーフが設置されまくりました。
赤江浜について

行政って何だろう。

においも色もないし、形もない。


でもその力は絶大。

個人の思いや願い、祈りなんて、簡単に踏みつけて、埋め立てて、見えないものとしていく。


でも僕は思う。


諫早で、宮崎で、山口で、青森で、愛知で、沖縄で、

そういった強大な力と向き合ってきた(向き合っている)人達と交流していく中で思う。

どんな力もシステムも、個人の思いや願い、祈りを、消すことは出来ない。


それらは見えないものとされているようだが、確かにそれらは消えていないし、

むしろ、さらに強く、さらにたくましく、さらに美しくなっている。


逆境に立たされ、逆風を浴びることで、その根は深く大地とつながる。

祈りは強められ、天と深くつながる。


強く、たくましく、柔らかく、美しいものである、そもそもの僕たちは、

そのようにして自らの本質と出会いなおしている。

善も悪もない。

立場の違いこそあれ、誰もがその道の上にいる。


それぞれが自分の本性に気づいていくために必要なプロセスを選び、生きている。

すべての存在がつながるひとつの生命であり、今僕たちは、ひとつの時代を共に味わい、生きている。


私たちは何者であり、何をしていく存在なのか。

みながそれぞれ、見つけだそうとしている。

本当の公共事業とは、大地と交わり感謝を表すこと。

よくよく考えたら当り前のことを、当り前のように皆で取り掛かれる時が来ることを信じ、

ひとり分の準備を進めようと思う。

« たまには暦と五行の話を | トップページ | 共存 »

コメント

;;
いつもワンネスなんて思えないでいる天の邪鬼です。
思えるようになればいいとも願ってもいるものです。

山口県知事さん、個人的には初当選の時から苦手で、ヘラッて笑ったポスターの顔をみると、嫌悪感で一杯になっていました。
嫌悪、憎悪、許し、井の中の蛙はそんなところを行ったり来たり。

言えるのは、たぶん私は一生「上関原発に関して二井知事がGOサインを出した」と言うことを忘れないだろうなと言うこと。
でも富田さんのブログ読んで、嫌悪はもう止めて行けそうな気もします。
でも事実は忘れませんし、更に意志は強く揺るぎなく(笑)
善でも悪でもなく、、、。 感謝 拝

投稿: 匿名でごめんなさい@山口 | 2008年11月 4日 (火) 13時37分

匿名さん

コメントありがとうございます。

二井さんね。

彼が知事に就任した時点では、すでに上関原発は国の基本計画に組み込まれていたんですよね。

すでに決まってしまっていたものを覆すことを彼は今のところ出来ていないわけです。

彼が新しい選択をするために出来ることの一つに、

彼を孤立させないことがあると思っています。

無関心・無視を続けていること、声を届けないこと、あきらめること、
そういったあり方の総和が、「一部の人間しか反対していない」と思わせる原因になっていると
感じます。

二井さんを今のような状態に追い込んでいる原因を、
自分たちの中に見出し、自分たちに変容を促していくことに、意味を感じています。

誰かを敵とみなしたり、問題のありどころを他者に求めるのではなく、
当事者として受け止め、当事者としての声をどんどん届けていきたいと思っています。

投稿: たか | 2008年11月 7日 (金) 18時38分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 公共事業の行く末:

« たまには暦と五行の話を | トップページ | 共存 »