共存
僕たちは、もっともっと謙虚になったほうがいい。
無知である、ということを、知った方がいい。
と、日々そう思う。
色々分かってたら、今頃、いろいろ解決している。
分かってないんだ、僕たちは。
無知なんだ。
「まずは知ることから」という言葉がある。
でも、知ってから動く、というのは、違うなと思う。
それじゃ、いつまでたっても動けんぜ。
動くから分かることがある。
動くといろいろ分かってきて、そして、もっと動くと、自分は何も分かっていない、ということが分かってくる。
分からない人が分かっている(ふりをしている)人よりも劣っている、という競争社会の原理。
そのゲームから抜けることの大切さを実感する。
いかに、知った気になった大人が多いかと、思う。
分からないことがあっても、「分からない」と言えない社会。
言ったら責められる社会。見下される社会。
競争の原理。
優劣という物差しをつかった、差別社会。
善悪という物差しをつかった、差別社会。
優劣も、善悪も、似たようなもんだ。
どっちもリアルじゃない。
善なんてないし、悪なんてない。
他者を測る物差しは、結局自分をジャッジすることに跳ね返ってくる。
自分で自分を許せなくなる。
自分を許せなければ、他者を許せるはずもない。
むかしむかし、原発を安全に動かす方法を開発出来ると、本気で思い込んでいた人たちがいたらしい。
その気持ちは、分からなくもない。
そして、今、彼らは「それは無理」ということに気づいてしまった。
多くの人たちが、「原発を安全に動かすことは、やっぱり無理だった」と、心の中では認めつつある。
認めたいけど、認めたら、責められる。
その気持ち、わかるぜ。
誰だって、責められたくない。
責任をとれ!と言われたって、どうやって責任をとったらいいかすら、分からないだろう。
「できませんでした。ごめんなさい。」と謝られて、果たしてどれだけの人が、そのことを許すことが出来るだろう。
許す器が、聞く側になければ、話す側はなかなか心を開かないだろうね。
誰だってそうだろう。
勇気がいるとしたら、それは「出来なかった」と打ち明ける者たちを受け入れる側の勇気だ。
もちろん話す側にも勇気はいるだろうし「出来ない」と話してほしいよ。
だけど、僕は僕の立場として、
「今までの計画は、やめたいんです。しかも、どうしたらいいかも分からないんです。」
と言われても、それを受け入れて許す準備をしておきたい。
許しつつ、その勇気を讃えたい。
そして、「よっしゃ、よく言った!じゃあ、これからどうしていくか、考えようぜ!」と言いたい。
解決したいしね。早く。僕たちの人生は、これから先長い。
解決するには、許すしかない。
責めてる暇なんかないんじゃないか?とも思うのだ。
それよりも何よりも、一緒に解決策を考えて、実行していきたいよ。
とりあえず放射能の被害を、食い止めて、海を、山を、森を、川を、子どもたちを、おじいさんおばあさんを、
イノシシやオオカミや、カンムリウミスズメや、スナメリや、ジュゴンや、ジャングルや、アメリカインディアンや、
差別を受けている人たちや、差別をしている人たちや、攻撃を受けている人たちや、
攻撃をすることをやめられない人たちや、やりたくないことを我慢してやっている人たちが、
救われ、癒され、自然のバランスが、命のバランスが、取り戻されていくための協働作業を進めたいぜよ。
行政にいる人も、電力会社にいる人も、マスメディアにいる人も、ひとりひとりすごく有能だと、
お世辞抜きに、そう感じることが多い。
すげー、と思う。
でも、その才能を、システムが潰そうとしているようにも、感じることが多い。
もったいない。
資源の無駄遣い。
ひどいことをした人たちを、死刑にしろという人たちがいる。
憎悪と怒りで、叩きのめそうとするバイブレーションがうごめいている。
自分自身の不健康さ、ストレス、ジレンマ、無力感、様々なマイナスの想念を、
悪というレッテルを貼った何か(犯罪者、政治家、企業、国家など)に、ぶつけていく。
自分自身へのマイナスなバイブレーションが映し鏡のように投影されて、他者を非難する。攻撃する。
一方で、犯罪を犯した人達は、心に問題を抱えた人だからということで、
罰するよりもむしろ、ヒーリングも含めた治療が必要と唱える人たちもいる。
今の状況を生み出した原因は、自分にあるとみなし、自己変革を促していく。
僕は、後者のあり方に賛同する。
分からないと言えない社会を、僕は好まない。
分からないと言える世の中を望むし、そのような世界を生きたいし、そのような生き方を日々体現したいと思う。
出来ないことを、出来ないと言って許される世の中を望むし、そのような生き方を日々体現したいと思う。
どうせ誰もどうしたらいいか分からないんだから、もっとオープンに話し合えるような世の中を望む。
問題点を洗い出して、みなで解決に向かっていくプロセスを望む。
リーダーもいらないし、カリスマもいらない。
救世主もいらない。
ただ、それぞれの声を、否定せず非難せず、攻撃せずに、聞きあえる世の中を望む。
原発はいらない。
だけど、原発を推進してきた人達ひとりひとりは、いらなくない尊い存在だ。
戦争はいらない。
だけど、前線に立ってきた人達ひとりひとりは、いらなくない尊い命だ。
そこを間違えたら、共存は難しい。
僕は、世界を変えたいなんて、大きなことは望まない。
でも、生き延びたいとは思う。
競争はもういらない。
共存をしたい。
正義は勝つ、という世の中を、僕は望まない。
勝者も敗者も生みださない世の中を望む。
世の中とは、別に、でかい意味ではなく、自分の身の回りのコミュニケーションの事だ。
そういうコミュニケーションの輪を、自分の身の回りに作っていきたいと思うし、それを持続させたいと思う。
僕の中に競争があるなら、それをやめる。
僕の中に差別があるなら、それをやめる。
僕の中に暴力があるなら、それをやめる。
そうすることで、僕は、共存をしたい。
以上。
独り言でした。
拝
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コメント
貴さんに心から賛同します!!!
怒りからは何も生まれない。
許し、受け容れ、共存を♪
投稿: のり | 2008年11月19日 (水) 09時39分
いつも心に響く言葉をありがとうございます。
まさにここ近年感じ続けていることです。
息をするみたいに、みんながプラスのエネルギーを出し合える世の中を
一刻も早く作りたいです。
そのために、まずは自分から、自分の周辺から良い流れを作ろうと
日々悩んでいます。
悩むより、行動 ですね。
投稿: mick | 2008年11月19日 (水) 21時31分