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2009年4月の1件の記事

2009年4月24日 (金)

久しぶりの投稿

107日ぶりの投稿です。

完全に、ブログに向かう時間を取れませんでした。

先日、山口県光市で行われた「アースディ瀬戸内」の会場で、
「ブログ全然更新してないじゃないか。チェックしてるんだぜ~。」と言われ、
なんだか背中を押されたような気分で書いています。

ちなみに、もう一個のブログは携帯から書き込めるので、事あるごとにメモのように書いてます。
【旅日記】

今日は、次の投稿がいつになるかも分からないので、書けるだけのことを書いてしまいます。

1月は、青森、静岡、宮城、北海道、を回りました。

北海道は、5月にも訪ねます。
その際には、幌延の深地層研究所(最終処分のための研究施設)も訪ねるので、レポートしますね。


2月7日、8日は「六ヶ所村ラプソディー東日本サミット」に参加してきました。

再処理を止めるためのアクションプランを募集していたので応募したところ、
4つのプランの一つとして採用して頂き、プレゼンして、ミーティングしてきました。

「再処理を止めるためのデータバンク作り」という名前を付けたプランです。
【六ヶ所村ラプソディー東日本サミット】

このプロジェクトの中で、まずは、全国署名の活動をネットワーク出来るようなウェブサイトを作りたいと画策しています。なかなか思うように進みませんが、いい勉強になっています。
また、何よりも、このミーティングを通じてたくさんの出会いがありました。
具体的に何かをやるために集った、という事で、つながりも深まった気がします。
あとはやるだけです。

再処理については、、、
アメリカの政策転換(核燃サイクルやめるって言ってる)や、反核燃の鹿内さんが青森市長になったことなど、
変化が起こっていますね。

「それらのことがどのような影響を与えると思いますか?」って聞かれることがあるのですが、、、
僕は、自分の気持ち(みんなの気持ち)が「やったー!」となったことが、すでに影響だと思っていますし、
それがすべてだとも思います。

想いが現実を作るのですから、自分の気持ちがポジティブになれば、言動はポジティブになるし、
アイデアもポジティブになるし、、その積み重ねでしか、ポジティブな現実は生まれないと思うので。

オバマさんもあれだけみんなを盛り上げてくれているのだから、
「オバマが世界をかえてくれる」じゃなくて、「ぼくたちが世界を変えるのだ」というところに立ち戻るべきです。

さきほどのデータバンクもそうですが、、、新しい事に取り組むと、何らかの壁に当たります。
そして、その壁自体が、今世界が越えるべき壁の縮図だと感じます。
僕は今、僕の限界にぶちあたっています。
でも、それがとても心地いいです。
結局、現状を誰のせいにもできなくて、自分が越えるしかないのです。
越えられないものは、目の前に現れるはずはないし(現実はすべて自分が引き寄せたのだから)
そこを越えたら、新しい景色が見えるのです。
何かを越えた後に見える景色は、越える前には想像をしようもないものであって、
そして同時に確信できるのは、その景色は、今まで見た事がないような素晴らしいものなのです。
その美しさ、素晴らしさは間違いないと、確信できます。
だから、壁にあたるたびに、わくわくします。
つらいこともありますけどね~。


さて。
2月14日からは長野県に行っていました。

上田、御代田で、核、エネルギー、お金をテーマにした勉強会でした。

14日は、六ケ所、玄海、上関、浜岡などの現状をレポートしたのち、
「原子力のない世界を具体的にイメージしてみる」というワークショップをしました。

原子力のない世界には、何がなくて、何があるのか。
原子力のない世界を実現するには、何が必要なのか。何を手放すべきなのか。
などを挙げてもらいました。

で、自分でもうっかりしていたのは、、
「原子力がいるかいらないか、まだ分からない」という人が数人いたということです。

前半部分で原子力についての概要・現状を話したことで、その部分については意識共有が出来ているだろうと思ってしまっていました。

反省ですね。。
僕の中の思い込みです。
色々な環境に生きていて、色々な考え方を持っていること、分かっているつもりで、
つねに思い込みの中に生きてしまう危険性があります。
気をつけないと。


ということで、次回は、5月16日に原子力について、じっくりお話をする会を開くことになりました。

ひとりひとり、考え方も選択も自由。
そして、その上で、僕は、世間一般に広まる偏った情報と逆とも言える立場からの情報提供と、
僕自身の意見を、改めてはっきり伝えたいし、そのためにも自分のステイトメントを整理をしなければ、
ということも分かりました。

選択、意志は自由ですが、僕は僕のメッセージをもっと発信しないと。
原子力発電所は、もうこれ以上増やすべきではない、という事について、もっとはっきり主張したいと思います。

僕は、ウランを掘る、ということ自体をやめてほしいと思っています。
それを何に使おうと、地中にあるものをわざわざ掘り出してほしくないし、
その事で起こる被曝は、誰にもしてほしくないです。
ウラン採掘、輸送、燃料製造、原発の運転・点検、再処理、あらゆるプロセスにおいて、被曝の危険性があります。「扱ったら死ぬかも知れないもの」をわざわざ使わないでほしいのです。

被曝は、賛成派、反対派、推進派、中立派、問わず、都道府県や市町村の垣根も問わず、
すべての命に対して分け隔てなくやってくるもの。

そして、原発計画が持ち上がったら、建設されたら、運転したら、そこには反対賛成の溝が出来ます。

対立、分断、孤立。

やめましょうよ、もう、いいかげん。

べつべつでやっていく、隠しあってやっていく、騙し合ってやっていく、そんなやりかた、もう無理っすよ。

頭で理解したり、麻痺させたり、我慢したり、嘘ついたりしてここまでやってきたんでしょうけど、
もうこれ以上は、気持ちがついていきません。。

綺麗な海が埋め立てられる様を見て、心が痛む、その痛みの度合は、増してきていると思います。

アースディが始まって39年。
地球が生きていると、人前で言っても怪しまれない時代です。
地球は本当に生きているし、へその緒でつながれたように、地球と僕たちは一つです。

あの頃とは違うんです。
その事が、分かるんです。
海がつぶされることが、自分の事のように痛いのです。

それは、立場問わず、本当はみんなそうなはずです。
我慢してるだけじゃないかと思うんです。

お金や、法律や、過去に決めたことがそう言っているから、ここにこう書いてあるから、と言って、
古いやり方を続けることに、無理が来ています。

青森の綺麗な海岸からどれだけの生き物をどれだけ長い間殺すかも分からないものを、流せないです。

たった64年前に大量の生き物を殺したプルトニウムを使って発電する事を容認するなんて、つらすぎます。

瀬戸内海にたった一か所残された美しい海を、つぶすなんて出来ません。

美しさ、素晴らしさ、それらを手放して、何をほしいというのでしょう。

それ以上のものはないはずです。

僕は、僕の責任で今のような事態が起こっていると確信するので、どうしても目を背けることはできません。

僕は、誰を救うためでもなく、自分を救うために、原発をこれ以上増やすこと、再処理を始めること、プルトニウムを使った発電を始めることに、断固として反対します。
反対するだけでなく、本当に止めるまで、止めるために出来る事をやりつづけます。
そして、少しでも早く、スムーズに、対立や分断、孤立を生まない世界を作っていくことを望みますし、
そのための実践、古い自分からの脱皮を続けます。

僕たちは、地球の上に立つ、地球そのものとも言える生き物であり、
人に支配され、人にコントロールされることで生きているのではない。
そのことを忘れることはもう出来ない。


2月は、その後、関西、九州を回りました。

九州、すごいことになっています。

玄海原発はプルサーマル運転を始めようとしています。
早ければ5月上旬にも、プルトニウムを6トンほど含んだMOX燃料が到着します。
そして、8月からの定期点検期間中に装荷され、11月から運転が始まる計画です。

始まってしまったら、前例が出来てしまいます。

その後プルサーマルをやろうといっている、愛媛の伊方、静岡の浜岡は、
「玄海で事故なくやってるんだから大丈夫」と言われ、断ることが難しくなっていきます。
その後は、北海道の泊や、宮城の女川や、福井の高浜や、島根などに広がっていきます。

もうそうなったら、日本は核汚染で沈没だよ。
何ミリシーベルトまで大丈夫、とか言う話じゃない。
これ以上、危険を押し付けられ続けて、心も体も、もたないよ。
人はデータで生きているんじゃない。心で生きているんだ。
それは、こんなむちゃな計画を推し進めようとしているあなただって分かっているはずだ。
立場上やめようといえないなら、早くやめられるような世界が来るように、
せめて心の中で祈っておいてほしい。

なんとしても、玄海でのプルサーマルを、止めたい。
5月10日は佐賀市で大きなイベントがあります。
【imagine no mox】

「イベントやって何の意味がある」
「イベントで原発は止まらない」
という聞きあきた言葉は、今だに聞こえてくるわけですが、
心に大きな意味をもたらすんだよ、それは間違いないことだ。と言いたい。

今も佐賀の人たちは、よなよな話し合って、準備を進めている。
いろんな立場のいろんな世代の人たちが、よりあってあーでもないこーでもないと言っている。
そのことに意味がある、ってことに何で気づかないかな。
そこで生まれるエネルギーが、大事だってことだ。

人任せにせずに、自分たちで自分たちのバイブレーションを上げていく。
それが、こういったイベントを作っていく醍醐味だろう。
実際、すでに、このイベントが立ち上がる前、と、途中と、佐賀で集まり、ミーティングにも参加したけど、
ひとりひとり、すでに顔つきが変わってきている。
あの人とあの人が同じ空間で語らっているなんて、とか、いちいち感動しちゃうよ。

もちろんそれだけでは止まらない。
政治、行政、電力会社、メディアへの働きかけ、それがなくて、止まるはずがないのは、分かる。
分かるし、イベントやることが、政治、行政、、、、への働きかけや日常の中で変化を起こしていくことから目を背けうことになりかねないことも、分かる。

それでもね、自分以外にこれだけ多くの仲間が同じ目的に向かっているんだ、と確認したり、勇気づけられたり、自分自身を成長させたりできる場として、こういったイベントは、とっても大事だと思う。
エネルギーを自家発電するチャンスだ。

でもって、その上で、玄海に関しては、、、、

先日、美浜の会の小山さんとグリーンアクションのアイリーンさんと佐賀を訪ね、
「プルサーマル阻止戦術会議」が開かれました。
佐賀現地での行動と、全国的な動き、関西での動きを報告し合い、
今後どのような目標を設定して、どのような連携をしていけるかを話し合った。

そのあたりの具体的な報告は、機会を改めますが、
関西電力、福井県への質問・要望、
経済産業省への質問・要望、
国会議員への働きかけなどの取り組みについて、進捗状況を共有していくだけでも、
かなり有意義な連携になっていくだろう。

少なくとも、こうやって顔を見合せて、「一緒にやっていきましょう」と言い合えるところまで
調整出来たことの収穫は大きいと思う。

国が全国の電力会社にプルサーマル計画を持ち込んだことが、
全国の仲間同士が今まで以上に連帯を深めて、
大きな大きなムーブメントを起こしていくきっかけになってるように感じます。

僕の出来ることは小さいことだが、ミツバチのようにぶんぶんと各地を飛び歩いて、
各地の素晴らしい取り組みを、伝えて回れることは出来るな!と思っています。

そして、鹿児島の薩摩川内市にある川内原発では、日本最大の原子炉を新たに建てる計画です。
現地を見てきました。
おもいっきり自然の海岸を壊して、アカウミガメの産卵地も壊して、どでかい危険施設を建てる計画です。

地元の人数人と話をしましたが、安全なはずはないと言っていました。
そして、自分たちにはどうしようもない、とも。
何度も聞いた言葉です。

そのような言葉を、経済産業省の人は、聞いたことがあるのかな。
現地を歩いた方がいいよ。
歩いてみたり、現地の人と一緒にご飯食べて、泊めさせてもらったり、とか、
そういうことをしないと分からないことってあるはず。
そこまで分からなければ決めてはいけないことって、あるはず。

始めてしまったら取り返しがつかないことを決めるんだから、
東京のビル街の中で、心のない文字やデータとにらめっこして決めていいことなのか??
とても疑問です。

さらにさらに、、、九州にもう一か所原発を作ろうという計画が、昨年末に九電から発表されました。

絶対無理です。

この数年だけ見ても、こんなにも地球を愛し、自然を愛する意識が高まっている中で、
こんなにも、その思いを持つ者同士の連帯・連携の輪が広がっている中で、
どうやってそれらのエネルギーをはねのけることが出来るのか。

中国電力の役人が言ったそうだ。
「祝島の人が諦めれば上関原発は出来る」と。

その言葉に返す言葉がある。
「それならば、上関原発は絶対に出来ない。なぜなら、死んでも諦めないと思っている人は祝島の人だけではなく、僕を含めてその数は増え続けているからだ。」

国も、電力会社も、分かっておかなければいけない。
原発が建てられるかどうかは、活断層があるかどうか、希少生物がいるかどうか、地震に耐えられるかどうか、
だけでは図れない。

あなた方が、心から本気で、心から迷いなく、それが必要だと思っていて、
自分のため、命のため、世界のため、宇宙のために、必ずやり遂げる、という確信があるなら、
その確信と、絶対に建てさせないという覚悟を決めている僕たちの確信と比べてみた方がいい。

絶対にあきらめない。

すべての土地から被ばくの恐怖が取り除かれ、
あらゆる土地に住む命が、差別や支配や格差や孤立から自由になるまで、
僕たちの足取りは止まることはない。

つながるすべてのいのちのために、ぼくたちのいのちはここにあるのだから。

スピリットは、死ぬことはないのだから、死を恐れる必要はない。
私があなたに命を奪われる事を恐れる必要はない。

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