« 『阻止行動の報告とお礼 2009/9/24』 山戸孝(祝島島民の会) | トップページ | 【田名埠頭レポート】虹のカヤック隊より(12:34更新) »

2009年9月26日 (土)

日記「多様な命と多様な想いを守る勇気を」

久しぶりに日記を書きます。


連休が明けてはっきりわかりましたが、このブログのアクセス数・閲覧者数は、確実に平日の昼間が多いです。

中国電力、関連業者、山口県庁職員、上関町役場職員、各地の電力関係者による、就業時間中のアクセスによるものでしょう。

田名埠頭にどんな人間が何人くらい集まっているのかなど、現場に行かずして分かるわけですから、便利なのでしょう。

今まで通りの、現地を孤立させ、強引に工事を押し進めてきたやり方が通用しなくなってきた今、
もちろん、阻止行動をしている側の動きや考え方・価値観についても、開いていきたいと思います。

僕は、明確に、これ以上原発を増やす事に異を唱える者としての立場から、あらゆる情報を発信しています。

と同時に、電力会社が経営的に追い込まれていく事や、現場の社員・下請け業者の立場が悪くなっていくこと、
上関町をはじめとする原子力産業に取り込まれてしまった地域の財政が厳しくなっていくこと、
日本のエネルギー政策が行き詰っていくこと、それらの事象に関わる個人個人の不幸せを望んでいるわけではありません。

むしろ、それら原子力に関わるすべての当事者の幸せを望みますし、
その幸せを、抽象論ではない、具体的で手ごたえのあるものとして実現していくためにも、
原子力発電所を建て続けていくことが、あらゆる問題解決を先延ばしにする行為であると認識したうえで、
新たな新規立地に対して待ったをかけたいと思っています。


お金で生活は守れないという人達と、生活を守るためにお金(仕事)を守るという人達がいます。

立場が違う人達が、それぞれの世界観の中から出てくる言葉を語り、それぞれの行動をしています。

それは自由でいいと思います。

しかし、どちらかの行為がどちらかの自由を侵害していたり、
どちらかの暮らしや営みへの理解がないままにそれを破壊していたりするならば、
それに対して異を唱えることは、双方が生き残る上でも必要なことです。

多数決で決めてはいけないことがあります。

少数の生命の危機が、多数派の同意によって推し進められるならば、それは暴力以外の何物でもありません。

政府であれ、県であれ、事業者であれ、経団連であれ、電事連であれ、マスコミであれ、
多数の者、大きな力を持つ者はむしろ、
少数の者、力なき者を、守り、助けるべき立場にあるのではないでしょうか。

中国電力の社員は、祝島の方々に向かって
「あなたたちの中には、(阻止行動の現場から)帰りたい人もいるでしょう」
「これからも一次産業、二次産業でやっていけると思いますか」
と、相手への無理解・無敬意丸出しの言葉を投げかけた人もいます。

このような無理解がはっきりしている状況の中で、
そのまま進めていい事と、今のまま進めてはいけない事があると思います。

壊したら元に戻らないもの、殺してしまったら生き返らないものがあるのですから。

中電は、夜に作業をするかもしれないそうです。
そうなると、カヤッカーや祝島の漁船は、埠頭で泊まり込んで見張りをする事になるでしょう。

阻止が続けば続くほど、彼らは疲れていくでしょう。
そして、中電は、下請け業者は、焦っていくでしょう。

戦いは、お互いを疲労させ、勝ったものは束の間の喜びを、負けたものは恨みを、抱くでしょう。

戦いは、誰も幸せにはしないでしょう。

誰もが本当は、戦いたくないはずです。

命の危機を感じる海の人達は、体を張って止めるでしょうし、
会社の上層部からプレッシャーをかけられ続けている社員は、
なにがなんでも着工するしかないと思うこむほどに、精神的に追い込まれているかもしれません。

戦わざるを得ない者たちを生み出している、この構造を変える道はあるのでしょうか。


昨年の夏、中国電力の社員と話をしました。
「多くの人達が原発による電力の安定供給を求めています。
その皆さんの声にこたえるためにも、この場所に原発を建てることを使命と感じています。」
と言う言葉を聞きました。

僕はどう考えても「多くの人が原発を望んでいる」とは思えません。

多くの人、という人の中には、これくらいはグラデーションがあるでしょう・・・。

電気がどうやって作られているか、何も知らない人
考えた事もない人
えらい人達がやっていることだから、良くわからないけど大丈夫、と思っている人
ちょっとは知っている人
ちょっと知ったけど、自分には関係ないと思っている人
知ったところでどうしようもないと思っている人
原発ってイヤだな、と少し思ったけど、それ以上考えることをやめている人
原発の危険性について聞いたけど、それ以上踏み込むと変わり者と思われそうだからやめている人
漠然と不安だけど、そのままにしている人
周りに話せる人がいないし、そのままにしている人
危ないと思っている人
危ないけど、電気もいるしな~と迷っている人
自分一人が異を唱えたってどうしようもないと思っている人
すごく勉強をしたけど、途方もない気がしてきたのでやめた人
原発に反対だけど、会社の人間関係があるし言えない人
家族関係が悪くなりそうだから考えないように、言わないようにしている人
原発に反対だけど、そう言ったら喧嘩になったことがあって、言わなくなった人

もっともっと、いろんな人がいるでしょう。

迷っている人、
戸惑っている人、
このままでいいとは思えないけどどうしたらいいか分からない人、
どうやって自分の思いを届けたらいいか分からない人、
分からない事を誰に聞けばいいか分からない人、
話し合いの場がほしい人、

原発がほしいのではなく、暮らしていくためのお金がほしいのだ、という人
電力会社の社員という立場だから表向き賛成している人
本当は自然エネルギーの仕事をしたい人
原発の現場から離れたい人
役場の人間として、自分の役職をまっとうするためには埋め立て許可を出すしかないという人
書類が回ってきたらサインをするしかないという人
バリバリ推進の人
バリバリ反対の人

色々です。

本当に、色々あるのです。

反対派と括られる人達、賛成派といわれる人達の、それぞれの中に、
それぞれの立場の人たち、それぞれの価値観の人たちがいます。

色々思っているけど黙っている人達をざっくりと括って、
「黙っている人=現状を容認している=賛成派」
としてカウントしているのだとしたら、やっぱり、ちょっと待とうよと言いたいです。


多様な意見をくみ取れない社会は、多様な生態系をつぶしていくでしょう。

個人の意見は踏みにじられ、感性は閉ざされ、決まりきったことだけが自動的に進んでいく、
ロボットとオートメーションによる、「便利で快適」という幻想に浸る思考停止の世界が待っているでしょう。


賛成派に迎合するでもなく、反対派に迎合するでもなく、
個性豊かな、多種多様な声が表に出た時に、世界は変わるかもしれません。


私はこう思う、
私はここがわからない、
私はこんな風に戸惑っている、
私はこんな風に迷っている、、、、、

「こんなに多種多様な意見、疑問、戸惑いがあるなら、今すぐに工事を進めることは得策ではない」

となるかもしれません。


また、反対派と言われている人の中には、ただ単に反対しているだけでなく、
生命の危機を感じて「殺さないでくれ!」と言っている人もいます。

祝島の方々がそうですし、
「長島の自然を守る会」の方々に代弁をしてもらっている、希少生物たちの声がそれに当たるでしょう。
突き詰めていけば、みなが生命の危機を感じているのかもしれません。

彼らは、大型トラックに轢き殺されようとしているようなものです。
そこで「轢かないでくれ!」と叫んでいるのです。
自分の子どもが車に轢かれそうになったら、あなたは「あぶない!」と叫ぶでしょう。

その声を「過激だ」という人もいるかもしれませんが、状況によっては、叫ぶしかない時もあるのです。


電力会社は原発がほしいのでしょうか?
お金がほしいのでしょうか?
経営的に追い詰められているのでしょうか?
原発を作る以外に方法はないのでしょうか?

日本という国は、三菱や日立や東芝は、原発を作り続けるしかないのでしょうか?
伊藤忠商事や住友商事は、ウラン採掘で儲けるしかないのでしょうか?

もっと違う方法はないのでしょうか?

それぞれの立場の中に、それぞれの、多種多様な意見があるでしょう。

本当は、今すぐに話し合わなければいけない、重要な、緊急な事が、たくさんあるはずです。

黙っているままでは、
現実をただただ傍観しているままでは、
「多様な意見がある」という事がわからないままでは、
為政者たちも、事業者たちも、僕たちひとりひとりも、議論のテーブルを作ることすら、できないでしょう。

「多種多様な声」の存在が発見された時、それらの声を大切にしようという動きが生まれるかもしれません。
多種多様な命を見つけた時に、「踏みつぶしたい」とは思わないでしょう。
「大切にしたい」と思うでしょう。

僕たちひとりひとりの声も、同じようなものです。
ひとつひとつが、ひとしく大事で、ひとしく愛おしいものであると、僕たちは本能的には、分かっています。

それらの声が表に出た時に、僕たちの本能は、何かを感じ、何かに気づき、何らかの反応をするでしょう。

多種多様な声の存在が認識された時、
そのような新しい認識の中で、新しい方向性が見えてくるかもしれません。


小さい声、繊細な命の営み、人知れず消えていこうとしているそれらを、
まだ見ぬまま、まだ知らぬままに消してしまっていいのでしょうか。

私の声とあなたの声が出会わないままに、このまま事が進んでしまっていいのでしょうか。

祝島の声、スナメリの声、カンムリウミスズメの声、海を守りたい者たちの声が、
工事の音にかき消されてしまっていいのでしょうか。

壊したものは、元には戻りません。

今僕の耳元には、壊されるかもしれない命、ギリギリの危機に直面している命の声が聞こえます。
その現実が、目に映ります。

これは、インターネット上のヴァーチャルな出来事ではありません。
テレビの前で起こっているストーリーではありません。
僕たちが当事者として関わっている世界で起こっている出来事です。

僕たちの世界から、僕たちの命から、僕たちのつながりの中から、
何かを消しさるべきか、壊すべきか、守るべきか、進めるべきか、止まるべきか、戻るべきか、、、、
新たな声が出てこなければ、現実はこのまま進むのです。

今すぐに戻ることはできなくても、止まることは出来るでしょう。

田名埠頭に集まる人びとは、実際に止めてくれています。
生活を削り、何かを犠牲にしながら、ブレーキのように体を張って、何とか止めてくれています。

その車輪を再び動かそうという意志が存在し続ける限りは、
彼らによるブレーキは、摩擦を生み、疲労を生むかもしれません。

阻止行動は、差し迫る危機を、破壊を、先延ばしにするための方法であり、
先延ばしにしてもらったおかげで用意された時間を、有効に使えるか、無駄にしてしまうのかの選択は、
現場にいる人たちではなく、その現場を見たり、聞いたり、知ったり、感じた人たちに委ねられています。

今ならまだ間に合うと感じます。

今なら僕も、希望を感じることができます。

それぞれの持つ、多種多様な「自分に出来ること」が積み重ねられていった先に、
今と違う状況、雰囲気が生まれることを願います。

そして、
新しい雰囲気の中から、今はまだ見ぬ新しいアイデアが生まれ、
新しい方向に命が連帯していけることを願います。

あらゆる場所で、あらゆる想いが、その存在を認められることを願います。

私たちの想いを守れるのも、命を守れるのも、私たちしかいません。

シーカヤッカー原康司君による「不安を勇気に変えてほしい」という言葉が、想いが、一人でも多くの人のスピリットに届けられるように願います。


« 『阻止行動の報告とお礼 2009/9/24』 山戸孝(祝島島民の会) | トップページ | 【田名埠頭レポート】虹のカヤック隊より(12:34更新) »

コメント

びくびくしながら山口県に抗議メールを一通だけだしました。
(一週間ほど前ですが返信はありません)
この記事があまりにもすばらしかったのでコメントさせていただきます。
多様性や対話の必要性に関して、ごもっともなご意見ですを考えます。
漁船のかわりにカヤックが出てきてくれた現実にとても感動し感謝しました。
みなさんの活動は、日本全国、そして世界中の人々にとっても、深く意味のあることです。
ありがとうございます。
微力でございますが、なにか行動をしたくて
カンパに協力させていただくことにしました。
お体に気をつけて。
応援しております。

投稿: 歩手子 | 2009年9月26日 (土) 15時19分

小さいころから訪れていた祝島に、原発反対の横断幕が張り出されてから、もう久しくなります。行く度に、気になっているのに、当事者になれない、なるきっかけを作れないことに、ずっと釈然としないものを感じていました。一般のニュースでは報道されなかった祝島の人たちの座り込みの抗議行動を、Twitter経由で知ってからというもの、毎日、インターネットで祝島のことを検索して、その情報を流すという日々が始まりました。アメリカにいながらできることは何だろう?と毎日考えています。

原発という怪物が、祝島の海に影を落とすようになってから、もう30年近くたっています。10年前に亡くなった父は、原発の問題で、祝島に帰りにくくなったとぼやいていたことがありました。その父がもし元気で生きていたら、きっと皆さんと一緒にそこに座っていたことでしょう。光明寺のたっちゃんは、岩国にいても、ずっと祝島の人でした。その思いが私の中にもしっかり受け継がれていることを、皆さんの姿を、ネットで見ながら、毎日、確認しています。守ることの大切さ、そして、そのための勇気を、皆さんから教えてもらっています。

何ができるかわかりません。こうしてネットで発言することさえも、私には勇気がいることです。どういう状況になっているかもわからないまま、中途半端に関わっていいものなのかどうかも、正直、わかりません。でも、わかるのは、年月がこれだけ立った今、その怪物がすでに怪物ではなくなっているという事実です。

時代は変わりました。地球温暖化について、国際会議が各地で開催され、環境、エネルギー問題が語られない日はありません。技術も進み、原子力だけが答えではないとはっきりいえるようになりました。怪物は、張子の虎になってしまっています。どういう事情があるのかわかりませんが、その張子の虎をあたかも怪物のように表に立たせて、祝島の住人を威圧しようとしている中電さんは、世界規模で、この地球を守ろうと動き始めた国際社会からみると、時代遅れの悪代官にしか見えません。この祝島の問題が、世界に広まっていけばいくほど、その立場は明確になっていくことでしょう。何か中電さんにとっても、原発を無理に立てなくてもよいようなシナリオは書けないでしょうか?戦う意味は、ホントにあんまりないと思います。特に、こんなに毎日明るく笑いながら座り込んでるおばちゃん達のことを知った後では、仕事で毎日、説得にあたっている中電さんの方が可哀相になってきます。おばちゃん達は、自分たちの意思で、海を守ることを決め、お金に動かされているわけではないのですから。

そして、私も、自分の意志で、祝島を応援することを決めました。

明日は、ロサンゼルスで毎年開催されるJapan Film Festivalの理事会に出席します。鎌仲監督が撮っている祝島の映画を上映してもらえるよう提案します。映画祭は、日米メディア協会というNPOが主催しています。こちらのマスコミ関係者に、どういった方法でこのニュースを世界に広められるのかを相談してみます。できること、きっとまだまだあるような気がしています。

またご報告しますね。

皆さんの言葉、思い、私の時間が許す限り、伝えていきたいと思います。

石丸ひろみ@ロサンゼルス

投稿: 石丸ひろみ | 2009年9月26日 (土) 17時00分

やんややんや!まさにいま、この星のいのちの分水嶺が、ここにあります。
破滅したくない、生きたい、だからわたくしたちは、今日もごはんを食べます。その火に、原子力は、いらない。原始のたき火が、あればいい。わたくしは、それで、生きています。当然、電力会社のみなさまも、ご一緒に。
櫻井BLUES農場 拝

投稿: 櫻井BLUES農場 | 2009年9月26日 (土) 18時54分

初めまして。
私は今、神戸の専門学校で自然環境や野生動物の保全について学んでいます。


こうした自然をめぐる人間同士の問題がいかに難しいことであるかを感じるたびに、
私には出来ないんじゃないか、そう弱気になることが多々あります。

この記事を読み、
自然を動物を守っていきたい!ずっと思ってきた気持ちを改めて、強く感じる事が出来ました。


現地での活動に参加したいと思っていますが、時間や金銭面で叶わずにいます。
神戸でも出来ること、私も勇気を出してやってみようと思います。

投稿: SS | 2009年9月27日 (日) 19時20分

自然を守ることは過激じゃない。
工事に反対するのは、そこにある暮らしや自然を
そのまま続けたいからだもの。

お金がなくても暮らせる暮らし方を
選ぶ人が増えてます。

お金がないと暮らせないと思っている人たちのほうこそ
意識の転換をしたほうがいい。

投稿: バリ@八王子 | 2009年9月28日 (月) 11時32分

>昨年の夏、中国電力の社員と話をしました。
>「多くの人達が原発による電力の安定供給を求めています。その皆さんの声にこたえるためにも、
> この場所に原発を建てることを使命と感じています。」と言う言葉を聞きました。

なかなか、苦しい表現ですね…ちょっと、同情してしまいました。

中国電力はこれまで、8%という低い原子力発電設備比率(全国平均は20%)でやってきました。

中国電力は石炭火力に強く、高い技術力を持っています。
可採埋蔵量が多く安定供給・経済性に優れた石炭の利用も、依存度は下げるとしても、オプションとして日本が守るべき技術の一つでしょう。
元々石炭が多く使われていた中国地方では、妥当な選択であったかと思います。

CO2削減がこれほど重要課題にさえ、ならなければ…

毎年、環境省・経産省が公表する「電気事業者別二酸化炭素排出係数」において、中国電力はずっと外されておりました。
デフォルト値の0.555kg-CO2/kWhを大きく上まわっていたからです。

今年発表される2008年度の排出係数では、京都議定書のCO2排出クレジットも考慮されます。

◎2008年度 CO2排出係数 【kg-CO2/kWh, ()内はCO2排出クレジット反映後の数値】

北海道電力 0.588 (クレジットは無し)
東北電力 0.469 (0.340)
東京電力 0.418 (0.332)
中部電力 0.455 (0.424)
北陸電力 0.550 (0.483)
関西電力 0.355 (0.299)
中国電力 0.674 (0.501)
四国電力 0.378 (0.326)
九州電力 0.374 (0.348)

泊原発の補修・定期検査延長で一時的に排出係数が増加した北海道電力や、志賀原発が停止していた北陸電力とは異なり、中国電力には、2011年12月予定の島根3号機運転開始まで、排出係数を大きく下げる要因がありません。
その島根3号機が動いても2割ほど低減するだけです。
上関1・2号の運転が開始されれば、2020年にはようやく他社と同レベルに追いつきます。

電気事業連合会は、2008〜2012年度の目標を、1990年度から20%削減した0.34kg-CO2/kWhにおいています。
08年度には電力各社が合計で約6400万トン分(約1000億円)のクレジットを購入し、90年度比10.6%減の0.373を達成しましたが、目標まではまだまだです。

中国電力のクレジット購入総額は200億円以上と報道されました。
かなり頑張ったようです。
しかし、排出係数の目標値から見れば、明らかにまだ足を引っ張っています。

>僕はどう考えても「多くの人が原発を望んでいる」とは思えません。
>多くの人、という人の中には、これくらいはグラデーションがあるでしょう・・・。

民主党政権の25%削減目標を、「多くの人」が賞賛しています。
いくら努力して電力を節約しても、大元の発電で多くのCO2を排出していたのでは、腹立たしく思えるのではないでしょうか。

高いCO2排出係数が批判の的となったとき、原発に反対する皆さんは、中国電力を擁護されますか?

投稿: tweedle | 2009年9月30日 (水) 23時20分

擁護できると思います。
原発が発電の段階で二酸化炭素を排出しないといっても
原料を運んでくる段階での輸送、また廃棄物を処分するための輸送ではそれが排出されることに変わりありません。
さらには原子力による多様で大きなリスクを負うことになるわけです。

中国電力が石炭火力に強く、高い技術力を持っていたということを
恥ずかしながら存じ上げませんでしたが、国内はもとより、地元でそのような自給自足ができているのであれば、それを保護し続行するのが一番だと思われます。

そもそも、地球温暖化は二酸化炭素が原因ではないとする科学者もいますし
これからは温暖化ではなく氷河期に入る時期であるという主張もあるようですし
だからといって二酸化炭素をこのまま多く輩出していいと主張したいわけではありませんが
太陽光発電の助成、義務づけや、オール電化住宅での電力消費にかんして国民の啓蒙など、そのほかの方法で排出量を減らす努力をすべきだと思います。

それがたとえ原子力発電で可能になる二酸化炭素排出量の制限に届かなかったところで
どちらのリスクが高いのかを冷静に考えてみたいです。

投稿: 歩手子 | 2009年10月 2日 (金) 11時53分

歩手子さま
お返事をありがとうございました。

>擁護できると思います。

とても大胆なご意見ですね。

そう思われるのでしたら、反対運動へのカンパを、そのまま中電に渡されてはいかがでしょうか。
「これでクレジットを購入してください」と。
何百億という総額からは微々たる額でも、石炭火力を「保護し続行するのが一番」というご主張は伝わるかもしれません。
結構、効くかもしれませんよ。

>原発が発電の段階で二酸化炭素を排出しないといっても
>原料を運んでくる段階での輸送、また廃棄物を処分するための輸送ではそれが排出されることに変わりありません。

「変わりありません」…ちょっと、絶句してしまいました。
排出するか、しないか…こうした二者択一式な評価からの判断は、お止めになってはいかがでしょう。
100%安全か、そうでなければ危険、「安全なら東京に作ればいい」みたいな主張もそうですが、「量」を抜きにしてリスクの評価はできません。

CO2排出係数は、原料の採掘から発電設備等の建設・燃料輸送・精製・運用・保守等のために消費される全てのエネルギーを対象として算出されますが、それでも石炭と原子力では桁が違うのです。

電力会社の排出係数が大きいと困るのは、その電力を使う企業です。
中電から電力を買う企業がCO2放出量を報告するとき、もし関西電力だったら約6割まで減るのに、と思っても不思議ではないでしょう。
そういう苦労とは無縁の方には、どうでもよいことなのでしょうが…。

>地元でそのような自給自足ができているのであれば、

石炭は輸入されているので自給ではありませんし、本土は送電網が連結しており、中国電力だけで発電/消費が閉じているわけではありません。

孤立した電力網、また、原子力なしでやっているのが、沖縄電力です。
沖電の排出係数は0.946 kg-CO2/kWh、電力料金も全国最高です。
その沖電も、今年はついに「小型原子力発電の導入可能性の研究」を経営計画に盛り込みました。
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-08-21-M_1-009-1_001.html

原発のない日本が理想であれば、まずは沖縄で、原発なしで「本土並み」の電力供給を実現させる働きかけをされてはいかがかと思います。
沖縄でそれが実現すれば「脱原発」は説得力をもつでしょうが、現在の沖縄の電力事情では、同じ状況が全土に及んだらとんでもないことになるのは明らかではないでしょうか。

>そもそも、地球温暖化は二酸化炭素が原因ではないとする科学者もいますし
>これからは温暖化ではなく氷河期に入る時期であるという主張もあるようですし

こういうことは、お書きにならない方が良いと思います。

温暖化の問題は未来予測であり、未知の部分が多く、多様な分野から様々な意見が出されるのは当然で、真摯な学術的議論がなされています。
例えば、エネルギー・資源学会 新春e-mail討論「地球温暖化:その科学的真実を問う」
http://www.jser.gr.jp/
反原発の方が、温暖化が原発に追い風であるというだけの理由でCO2原因説に否定的な側を持ち上げ、時には陰謀であるかのようにおっしゃるのをよく見かけますが、純粋な科学的議論を不純にしますし、自然科学の問題を別のバイアスから判定することに不快感をおぼえる人は多いでしょう。

それとは別に、国として温暖化にどう対処するかは政治的な問題であり、国際的にIPCCの結論を尊重する流れに背くことはできません。
「CO2が原因ではない」と突っぱねることができるなら、日本にとってどれほど経済的メリットがあるかわかりません。

>太陽光発電の助成、義務づけや、オール電化住宅での電力消費にかんして
>国民の啓蒙など、そのほかの方法で排出量を減らす努力をすべきだと思います。

中電は、「もうやってますよ」と回答されるのではないでしょうか。
http://www.energia.co.jp/csr/pdf/csr-2009-08-02.pdf

いくさをするなら、敵のことを多少はお調べになられてはいかがでしょう。

>それがたとえ原子力発電で可能になる二酸化炭素排出量の制限に届かなかったところで
>どちらのリスクが高いのかを冷静に考えてみたいです。

リスク(ハザードではなく)とベネフィットをきちんと評価し比較することは、リスクマネジメントの基本です。
歩手子様の評価結果が出ましたら、教えていただければありがたく存じます。

「安全」は科学技術の問題、「安心」は信頼関係の問題です。そこを区別して考えると、判りやすくなります。
上関原発反対の理由は、信頼関係の欠如の要因が大きいように思います。
信頼が回復されるには、何が条件なのか…それを考えれば、具体的な要求ができるのではないでしょうか。
社長が土下座しろ…それが要望であれば、そう要求されればよいのではないでしょうか。

八ツ場ダムの57年、という例もあるように、いがみ合いが長く続くことほど、地元の皆さんにとって不幸なことはないように思います。
いがみ合いが延々続くことを喜ぶのは、反対運動を仕事にしている人達や、反対を叫ぶことに快感を感じる人達だけでしょう。

長々と、失礼いたしました。
それでは、また。

投稿: tweedle | 2009年10月 4日 (日) 00時31分

tweedleさんの書かれている内容はありきたりな反原発論者への誹謗や中傷などではないように思えたので関心を持って読み進めましたが、しかし最後に本音とも思える部分が露わになってしまい大変残念な気持ちです。
結局、無理解といってもいいかもしれませんが、そういったところに落ち着いてしまったことによって、これまで書かれた文章全体に対して恣意的なものを感じてしまいます。

>社長が土下座しろ…それが要望であれば、そう要求されればよいのではないでしょうか

一応仮定にしてはあるものの、誰も中国電力の社長に土下座など要求していない状況にも関わらず、まるで歩手子さんや上関原発の建設に反対している他の人たちがそういった感情的でしかも本質的な解決にはなにもならないことを要求しているかのような印象を与えかねない文を挿入されるのはいかがなものでしょうか。
この部分にはtweedleさんの悪意や敵意と表現しても差し支えのないものを明確に感じてしまいます。

>信頼が回復されるには、何が条件なのか…それを考えれば、具体的な要求ができるのではないでしょうか。

しかも先の文の前段であるこの部分は、むしろ事業者である中国電力へ問いかけるべき言葉でしょう。
「なぜここまで地元住民に信頼されていないのか(あるいは「なぜここまで事業者を信頼していない住民が依然として存在しているのか」)、それを考えれば中国電力は具体的な解決先を提示できるのではないでしょうか。」とでもするべきであったと思います。
中国電力自身も明言されているように、彼らはあくまでも原発建設に対する理解と協力を地元住民に「お願い」している立場ですから。

>いがみ合いが延々続くことを喜ぶのは、反対運動を仕事にしている人達や、反対を叫ぶことに快感を感じる人達だけでしょう。

ここもまた、ミスリードを狙ったと批判されてもおかしくない文ですね。
上関原発計画を発端にして起きている幾多の問題や犯罪(不正転入や買収など、推進派住民や中国電力社員がおこしたものですよ)を「いがみ合い」と矮小化したうえで、「地元以外の上関原発に反対する人たちは『反対運動を仕事にしている人達や、反対を叫ぶことに快感を感じる人達』である」と匂わせているのですから。

今現在、田名埠頭で起きていて、そしてこれまでも上関原発計画をめぐって起きてきた数々の問題の本質を何も理解していないこと、さらにそれを一方的に捻じ曲げた形で他者に伝えようとするスタイルは、私が田名埠頭で対峙してきた中国電力の社員の姿勢と重なって見えて仕方がありません。

そして同時に、blog主のこのような素晴らしい内容の文章の後に私も含めてこのようなコメントが続いてしまうというところに、他者を理解する以前に、理解しようとよう努力すること自体がなかなかに難しいものであることを改めて感じました。

投稿: 虹のカヤック隊の一員(自称)です | 2009年10月 4日 (日) 23時06分

わたしは、どなたともいくさをしているつもりはありません。
ですが、議論をするうえで対象をきちんとお調べしていないでいたのは、わたしの誠意がたらなかったと思います。
申し訳ありません。

また、
>リスク(ハザードではなく)とベネフィットをきちんと評価し比較することは、リスクマネジメントの基本です。
と、おっしゃられるのももっともですが、わたしはそういった方法に関して知識がございません。
ご期待に添えず申しわけないです。

このような場で、こういった反論を行うことで皆様のご迷惑となることも考えましたが、
そもそもは多様性に関して、賛同させていただいた記事でした。
その多様性に免じて、このような意見をださせていただくことを許していただきたいと思います。

わたしが「リスク」と申しましたのは、数値の問題ではありません。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
祝島のことを知り、ネット上でこういったサイトをいろいろと拝見するなかで、命の危険にさらされる環境とわたしたちの未来のことを「リスク」と申し上げました。
こういったリスクを数値化できるすべをわたしは持ちません。

CO2削減目標を達成することはたしかに重要なことでしょう。
それは国際的に日本が評価されるためでしょう。
電力会社が信用を失わない優秀な会社であるためでしょうか。

もしも中国電力が、こういった住民の意見を尊重してくださったのなら
信頼できる会社、未来のために勇気ある選択をしてくださった会社ということで
わたしは「擁護できると思います」と申し上げました。

地球の未来はどのくらいのクレジットで購入できるのでしょう。
カンパというかたちですが、これからもわたしなりにご協力させていだたきたいです。

投稿: 歩手子 | 2009年10月 5日 (月) 01時17分

はじめまして。ここまでの議論、興味深く拝見しております。
念のため申し上げますが、tweedle氏がどのような人物であり、
どのような意図のもと投稿されているのか、確認された上で議論されてはいかがでしょうか。
Google等で「tweedle+原子力」あるいは「jcf+上関原発」で検索されてみて下さい。

私は、大事な先輩と思っています。ぶちきれそうになることもあるけど。

投稿: 男子力発電所 | 2009年10月 5日 (月) 09時59分

あ、ほんとだ。すごいですね。
わたしが引用させていただいたサイトへの言及もすでになさっておられました。
勉強になります。
ありがとうございます。
http://ameblo.jp/sugi-hayama/entry-10282773437.html

投稿: 歩手子 | 2009年10月 5日 (月) 16時20分

◎虹のカヤック隊の一員 さまへ
ご丁寧なお返事、感謝いたします。
「ミスリードを狙った」「一方的に捻じ曲げた形で他者に伝えようとする」…私は、こうしたことを最も憎みますので、少なからずショックを受け、反省もいたしました。
ただ、私が書いたのは、本音としての私の認識です。
できるだけ率直に述べようとして、たいへん失礼な表現になっており、その点は深くお詫び申し上げます。

>>社長が土下座しろ…それが要望であれば、そう要求されればよいのではないでしょうか
>一応仮定にしてはあるものの、誰も中国電力の社長に土下座など要求していない状況にも関わらず、

では、祝島の皆さんが望まれるのは、何なのでしょうか?

先月17日に山戸孝様が書いておられた4つの要求のうち、

・この間の中国電力の一連の発言は、祝島をはじめとした地元住民や一次産業に従事して生活をしている人たちに対してあまりにも失礼極まりなく、形式的な謝罪程度で済むものではないこと

・そして何より祝島や地元住民が受けてきた27年に及ぶ苦しみやそれを乗り越えてきた強い思い、それらを理解する、理解しようとする態度を示すこと

これらは、具体的にどうせよとおっしゃられるのでしょうか?

貴方様が示された、

>上関原発計画を発端にして起きている幾多の問題や犯罪(不正転入や買収など、推進派住民や中国電力社員がおこしたものですよ)

二十数年前の事件では、起訴された住民が有罪判決を受け、町議会が陳謝しましたが、反対派の方々は「中電社長は謝罪せよ」とアピールされておられたと思います。


また、残り2つについても、

・地元の理解を得ていない埋め立て工事は中止すること

「理解」には、改めて、何をどうすればよいのでしょう?
27年間で、説明会や訪問、拒絶がどれほどあったでしょうか。


・祝島をはじめとした多くの人たちがこれからも海とともに生きていきたいからこそ埋め立てや原発建設に反対していること

中電は海が汚されることはないと言っていますが、どうすれば信じられるのでしょう?


三里塚闘争は、総理大臣の謝罪で一応の終結をみました(まだ反対を続けておられる方々もみえますが)。

もし鳩山総理が来たらどうでしょう?
民主党政権は原発推進ですし、それほど日本にとって重要ならば、国の代表として地元に負担をお願いしてもおかしいとは思いません。


「土下座しろ」という表現は品位を欠き、たいへん失礼なことを申し上げてしまいました。
しかし、「怒り」という感情は立派な実害であり、その解消を求めるのは正当な要求と思います。
そのためには何が必要か、具体的な条件を検討されるのも、解決への糸口に繋がるのではないでしょうか。


>中国電力は具体的な解決先を提示できるのではないでしょうか。」とでもするべきであったと思います。

今、話し合いを拒絶しているのは、どちらなのでしょうか?

今回、中電は当初、腹を割って対話する姿勢を見せていたように思われました。
腹を割って話すというのは、多少の失言にはお互い目をつむり、本音をぶつけ合うことではないでしょうか。
あのように失言を捕まえて攻撃材料にする…それで打ち解けた話し合いができるでしょうか。


>中国電力自身も明言されているように、彼らはあくまでも原発建設に対する理解と協力を地元住民に「お願い」している立場ですから。

その通りと思います。
公共事業ならば、例えば道路一本をつくるにも、あくまで立ち退かなければ、行政代執行までありえます。
原子力発電は単なる電力会社の一事業であり、公共事業ではありません。
電力会社側はひたすら頭を下げてお願いするしかなく、非常に弱い立場です。
原発が「迷惑施設」なのは間違い有りませんから、電力会社ができることは、その地元を支援することくらいしかありません。
「金の力で…」とおっしゃるかもしれませんが、それ以外に電力会社ができることとして、何があるとお考えでしょう?


>「いがみ合い」と矮小化したうえで、

「いがみ合い」を、決して些細なこととは思っておりません。

原発・ダム・飛行場…住民の対立で始まり、できればできたで、できなければできないで、地域に苦悩が残ります。
ただ、ともかくも早期に決着がつけば、「いがみ合い」はやがて無くなります。

町が二分され、対立が何十年も続く以上に不幸な状況があるでしょうか。


>「地元以外の上関原発に反対する人たちは『反対運動を仕事にしている人達や、反対を叫ぶことに快感を感じる人達』である」と匂わせているのですから。

地元以外の反対派が全部そうとは申しておりませんが、そういう人達が現実にいて(例が必要ならばあげますが)、運動が終わることが一番困る…どこか間違いがあるでしょうか?

運動のために反対される方は、原発ができてしまえば、その地域を叩く側に変わります。
不買運動をしたり、ちょっとしたトラブルでも針小棒大に宣伝し観光客を遠ざけようとします。
「原発を作ればこんなに悲惨」とアピールするのは、運動として当然の戦略で、これまで各地の原発で行われたことです。

皆さんは、もしも原発ができても、変わらずに祝島の「素晴らしさ」を伝えようとされるでしょうか?


>今現在、田名埠頭で起きていて、そしてこれまでも上関原発計画をめぐって起きてきた数々の問題の本質

元は、原子力という、単なる一つの科学技術に対する考え方の違いだけではなかったでしょうか。

推進派の人も、本当に危険と思えば、受け入れはしないでしょう。
温暖化と同じく、未知の部分を含むリスクに評価が分かれるのは当然で、冷静に科学的な議論をする範囲では、人間関係が壊れるようなことにはならなかったのではないでしょうか。
それを外部から、中電と反原発運動が煽り立て、これほどの亀裂となってしまったのは、本当に不幸なことと思います。

具体的な条件を提示せず、更に延長されて、何がどう解決されるのでしょう?

簡単には水に流せないことはよくわかります。
ただ、スンニ派とシーア派とは違います。殺し合いまでしてきたわけではありません。
「命を賭けてたたかう」ほどの問題とは、どうしても思えないのですが。

一度原点に帰り、冷静なリスク評価から改めて考えてみてもよいのではないでしょうか。


>このようなコメントが続いてしまうというところに、他者を理解する以前に、理解しようとよう努力すること自体がなかなかに難しいものであることを改めて感じました。

たいへん、失礼いたしました。
もう終わりにします。

◎男子力発電所さまへ

う〜ん、どちら様でしょう…範朱様?
でしたら、その節は、たいへん失礼をいたしました。
ともかくも、ご紹介ありがとうございました。

◎歩手子さまへ

>わたしが引用させていただいたサイトへの言及もすでになさっておられました。

このコメントには、長い長い続きがあったのですが、ブログ主さまから公開を拒否されてしまいました。
他の方への返事も含まれておりましたので、その部分は、その方のブログに直接コメントしたのですが、その方もすぐに「このブログはコメントを受け付けておりません。」と表示され、全て消去されました。

お二方とも、さぞや不本意で、胸を痛められたことでしょう。

こうならないためにも、反対運動は、自分たちの情報をきちんとチェックし、間違いを正すべきではないでしょうか。

国や事業者が少しでも間違ったデータを発表すれば、反対運動は大喜びで、マスコミも書き立てますし、場合によっては国会での追求にまで発展します。
しかし、市民運動のデータ一つ一つに国が反論などしませんし(特定の団体に国がそんなことをすれば、大問題です)、HPやブログは論文ではありませんから査読を受ける必要はありません。
何を書いても自由です。
ただ、間違いでもアピールに都合が良いからと放置するのは、結果的にマイナスにならないでしょうか。
市民運動は善意のボランティアであり、嘘はつくことなどないだろうと、誰もが信じます。
それを裏切るのは、真面目に取り組んでおられる方々への背信行為ではないでしょうか。

いくら61万人から署名を集めても、間違った理由で反対しているとなれば、多くの方の苦労が水の泡です。

原発ができたら、放射能汚染で死の海となり、農業や漁業を営む皆さんが生活できなくなるのでしょうか。
日本各地の原発に、そんなところは一つもありませんから、私にはとてもそうは思えないのです。


又々長文となり、申し訳ありませんでした。それでは。

投稿: tweedle | 2009年10月 6日 (火) 04時01分

この場所のことは今でもよく覚えています。

福島原発の事故のあと(それは今も続行中ですが)ごく一般の方々はようやく
「原発がどんなものか知ってほしい」を読まれてショックをうけていらっしゃる様子
それを何度か見かけました。
それが反原発の根拠としてはあまり信用していただけないデータであることも、もちろんご存じないのです。
それが「ごく一般の人々」の姿なのかしらと思い、少し気の抜けた、というか、哀しい、というか
「ざまみろ」とは思いませんけれども、正直フクザツな思いでございました。
自分の努力が足らなかったと、足らないばかりかまったくしていなかったと、
反省するべきところなのに、なんとも傲慢なことです。

被爆者であるわたしの祖母は最期の土地として選んだ福島へ移住して5年ほどでしたが
この事故により再び家を捨てることとなりました。

日本は過去に戦争で負けましたが、本土は占領されず失った国土もごくわずかです。
ですからおそらく故郷を失いつつある人々の痛みを本当に理解するということは
わたしたち日本人にはできないでしょう。
それでも、自分がよく知っている土地がいま汚染され続け失われつつあるということは
わたしをひどく動揺させます。
なんと哀しいことでしょうか。
こんなことになるのだったら(しかし当然予想してしかるべきでした。これはわたしたち全員の過ちです)
tweedleさんから、ハザードではないリスクとベネフィットをきちんと評価し比較するというリスクマネジメントの基本など
しっかり教えていただいておくべきでした。
そうしたら現実は少しは違ったものになったのでしょうか?
現実は同じでも
受け止め方はきっと違ってくるのでしょうね。
認識を変えられれば、現実も当然変わってくるはずですのに。

実は、この日記にコメントをつけた当時のわたしの感情を
もっと理論的に現実のデータでもってしっかり表現していただいているページを最近発見いたしました。
http://actio.gr.jp/2007/11/19061359.html
小出裕章さんの2007年9月25日のものだそうですから
思えばこの日記のときにはすでに存在していた記事だったのですね。
ゲームのようにリセットボタンがあるなら今すぐ押してしまいたい。

しかし過去を悔いてもなににもなりません。
これからのことを考えてゆくしかありません。

分かっているのですが、なんだか悪夢を見ているようです。

投稿: 歩手子 | 2011年4月27日 (水) 18時35分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/186517/31526170

この記事へのトラックバック一覧です: 日記「多様な命と多様な想いを守る勇気を」:

« 『阻止行動の報告とお礼 2009/9/24』 山戸孝(祝島島民の会) | トップページ | 【田名埠頭レポート】虹のカヤック隊より(12:34更新) »