2009年10月 2日 (金)

【日記】上関ダブルヘッダー

【日記】上関ダブルヘッダー
【日記】上関ダブルヘッダー
今日は東京御茶ノ水で、16時から上関原発緊急報告会、18時半から原発茶会でした。
全国から集まった人たちの語らいを通じて、上関および原子力全体への関心の高まりと、エネルギーシフトに向かっていく勢いを感じました。
明日は明治公園NO NUKES FESTAです。
僕は11時〜「再処理を止めるためのデータバンク・プロジェクト」ブースでの「再処理全国署名データマップ」実演、11時半〜メインステージトーク、11時45分〜NO NUKES CAFEトークライブ進行(ゲスト:山戸孝・祝島島民の会、高島美登里・長島の自然を守る会、内田ボブ・シンガーソングライター)、12時半〜しゃべり場進行(ゲスト:秋元 健治・日本女子大学 家政学部 家政経済学科 准教授「核燃料サイクルの闇 イギリス・セラフィールドの報告」 著者、神谷さだ子・日本チェルノブイリ連帯基金 理事)、15時半〜デモ・スピーカーという形で参加します。

関連記事:【EVENT】NO NUKES FESTA および関連イベント

(19時半からは三軒茶屋のカフェ・オハナで暦のワークショップをします。昼間の疲れで肩の力の抜けたよい感じのワークショップになりますので、ぜひご参加ください)

では。

写真上:上関原発緊急報告会
写真下:原発茶会

| コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月26日 (土)

日記「多様な命と多様な想いを守る勇気を」

久しぶりに日記を書きます。


連休が明けてはっきりわかりましたが、このブログのアクセス数・閲覧者数は、確実に平日の昼間が多いです。

中国電力、関連業者、山口県庁職員、上関町役場職員、各地の電力関係者による、就業時間中のアクセスによるものでしょう。

田名埠頭にどんな人間が何人くらい集まっているのかなど、現場に行かずして分かるわけですから、便利なのでしょう。

今まで通りの、現地を孤立させ、強引に工事を押し進めてきたやり方が通用しなくなってきた今、
もちろん、阻止行動をしている側の動きや考え方・価値観についても、開いていきたいと思います。

僕は、明確に、これ以上原発を増やす事に異を唱える者としての立場から、あらゆる情報を発信しています。

と同時に、電力会社が経営的に追い込まれていく事や、現場の社員・下請け業者の立場が悪くなっていくこと、
上関町をはじめとする原子力産業に取り込まれてしまった地域の財政が厳しくなっていくこと、
日本のエネルギー政策が行き詰っていくこと、それらの事象に関わる個人個人の不幸せを望んでいるわけではありません。

むしろ、それら原子力に関わるすべての当事者の幸せを望みますし、
その幸せを、抽象論ではない、具体的で手ごたえのあるものとして実現していくためにも、
原子力発電所を建て続けていくことが、あらゆる問題解決を先延ばしにする行為であると認識したうえで、
新たな新規立地に対して待ったをかけたいと思っています。


お金で生活は守れないという人達と、生活を守るためにお金(仕事)を守るという人達がいます。

立場が違う人達が、それぞれの世界観の中から出てくる言葉を語り、それぞれの行動をしています。

それは自由でいいと思います。

しかし、どちらかの行為がどちらかの自由を侵害していたり、
どちらかの暮らしや営みへの理解がないままにそれを破壊していたりするならば、
それに対して異を唱えることは、双方が生き残る上でも必要なことです。

多数決で決めてはいけないことがあります。

少数の生命の危機が、多数派の同意によって推し進められるならば、それは暴力以外の何物でもありません。

政府であれ、県であれ、事業者であれ、経団連であれ、電事連であれ、マスコミであれ、
多数の者、大きな力を持つ者はむしろ、
少数の者、力なき者を、守り、助けるべき立場にあるのではないでしょうか。

中国電力の社員は、祝島の方々に向かって
「あなたたちの中には、(阻止行動の現場から)帰りたい人もいるでしょう」
「これからも一次産業、二次産業でやっていけると思いますか」
と、相手への無理解・無敬意丸出しの言葉を投げかけた人もいます。

このような無理解がはっきりしている状況の中で、
そのまま進めていい事と、今のまま進めてはいけない事があると思います。

壊したら元に戻らないもの、殺してしまったら生き返らないものがあるのですから。

中電は、夜に作業をするかもしれないそうです。
そうなると、カヤッカーや祝島の漁船は、埠頭で泊まり込んで見張りをする事になるでしょう。

阻止が続けば続くほど、彼らは疲れていくでしょう。
そして、中電は、下請け業者は、焦っていくでしょう。

戦いは、お互いを疲労させ、勝ったものは束の間の喜びを、負けたものは恨みを、抱くでしょう。

戦いは、誰も幸せにはしないでしょう。

誰もが本当は、戦いたくないはずです。

命の危機を感じる海の人達は、体を張って止めるでしょうし、
会社の上層部からプレッシャーをかけられ続けている社員は、
なにがなんでも着工するしかないと思うこむほどに、精神的に追い込まれているかもしれません。

戦わざるを得ない者たちを生み出している、この構造を変える道はあるのでしょうか。


昨年の夏、中国電力の社員と話をしました。
「多くの人達が原発による電力の安定供給を求めています。
その皆さんの声にこたえるためにも、この場所に原発を建てることを使命と感じています。」
と言う言葉を聞きました。

僕はどう考えても「多くの人が原発を望んでいる」とは思えません。

多くの人、という人の中には、これくらいはグラデーションがあるでしょう・・・。

電気がどうやって作られているか、何も知らない人
考えた事もない人
えらい人達がやっていることだから、良くわからないけど大丈夫、と思っている人
ちょっとは知っている人
ちょっと知ったけど、自分には関係ないと思っている人
知ったところでどうしようもないと思っている人
原発ってイヤだな、と少し思ったけど、それ以上考えることをやめている人
原発の危険性について聞いたけど、それ以上踏み込むと変わり者と思われそうだからやめている人
漠然と不安だけど、そのままにしている人
周りに話せる人がいないし、そのままにしている人
危ないと思っている人
危ないけど、電気もいるしな~と迷っている人
自分一人が異を唱えたってどうしようもないと思っている人
すごく勉強をしたけど、途方もない気がしてきたのでやめた人
原発に反対だけど、会社の人間関係があるし言えない人
家族関係が悪くなりそうだから考えないように、言わないようにしている人
原発に反対だけど、そう言ったら喧嘩になったことがあって、言わなくなった人

もっともっと、いろんな人がいるでしょう。

迷っている人、
戸惑っている人、
このままでいいとは思えないけどどうしたらいいか分からない人、
どうやって自分の思いを届けたらいいか分からない人、
分からない事を誰に聞けばいいか分からない人、
話し合いの場がほしい人、

原発がほしいのではなく、暮らしていくためのお金がほしいのだ、という人
電力会社の社員という立場だから表向き賛成している人
本当は自然エネルギーの仕事をしたい人
原発の現場から離れたい人
役場の人間として、自分の役職をまっとうするためには埋め立て許可を出すしかないという人
書類が回ってきたらサインをするしかないという人
バリバリ推進の人
バリバリ反対の人

色々です。

本当に、色々あるのです。

反対派と括られる人達、賛成派といわれる人達の、それぞれの中に、
それぞれの立場の人たち、それぞれの価値観の人たちがいます。

色々思っているけど黙っている人達をざっくりと括って、
「黙っている人=現状を容認している=賛成派」
としてカウントしているのだとしたら、やっぱり、ちょっと待とうよと言いたいです。


多様な意見をくみ取れない社会は、多様な生態系をつぶしていくでしょう。

個人の意見は踏みにじられ、感性は閉ざされ、決まりきったことだけが自動的に進んでいく、
ロボットとオートメーションによる、「便利で快適」という幻想に浸る思考停止の世界が待っているでしょう。


賛成派に迎合するでもなく、反対派に迎合するでもなく、
個性豊かな、多種多様な声が表に出た時に、世界は変わるかもしれません。


私はこう思う、
私はここがわからない、
私はこんな風に戸惑っている、
私はこんな風に迷っている、、、、、

「こんなに多種多様な意見、疑問、戸惑いがあるなら、今すぐに工事を進めることは得策ではない」

となるかもしれません。


また、反対派と言われている人の中には、ただ単に反対しているだけでなく、
生命の危機を感じて「殺さないでくれ!」と言っている人もいます。

祝島の方々がそうですし、
「長島の自然を守る会」の方々に代弁をしてもらっている、希少生物たちの声がそれに当たるでしょう。
突き詰めていけば、みなが生命の危機を感じているのかもしれません。

彼らは、大型トラックに轢き殺されようとしているようなものです。
そこで「轢かないでくれ!」と叫んでいるのです。
自分の子どもが車に轢かれそうになったら、あなたは「あぶない!」と叫ぶでしょう。

その声を「過激だ」という人もいるかもしれませんが、状況によっては、叫ぶしかない時もあるのです。


電力会社は原発がほしいのでしょうか?
お金がほしいのでしょうか?
経営的に追い詰められているのでしょうか?
原発を作る以外に方法はないのでしょうか?

日本という国は、三菱や日立や東芝は、原発を作り続けるしかないのでしょうか?
伊藤忠商事や住友商事は、ウラン採掘で儲けるしかないのでしょうか?

もっと違う方法はないのでしょうか?

それぞれの立場の中に、それぞれの、多種多様な意見があるでしょう。

本当は、今すぐに話し合わなければいけない、重要な、緊急な事が、たくさんあるはずです。

黙っているままでは、
現実をただただ傍観しているままでは、
「多様な意見がある」という事がわからないままでは、
為政者たちも、事業者たちも、僕たちひとりひとりも、議論のテーブルを作ることすら、できないでしょう。

「多種多様な声」の存在が発見された時、それらの声を大切にしようという動きが生まれるかもしれません。
多種多様な命を見つけた時に、「踏みつぶしたい」とは思わないでしょう。
「大切にしたい」と思うでしょう。

僕たちひとりひとりの声も、同じようなものです。
ひとつひとつが、ひとしく大事で、ひとしく愛おしいものであると、僕たちは本能的には、分かっています。

それらの声が表に出た時に、僕たちの本能は、何かを感じ、何かに気づき、何らかの反応をするでしょう。

多種多様な声の存在が認識された時、
そのような新しい認識の中で、新しい方向性が見えてくるかもしれません。


小さい声、繊細な命の営み、人知れず消えていこうとしているそれらを、
まだ見ぬまま、まだ知らぬままに消してしまっていいのでしょうか。

私の声とあなたの声が出会わないままに、このまま事が進んでしまっていいのでしょうか。

祝島の声、スナメリの声、カンムリウミスズメの声、海を守りたい者たちの声が、
工事の音にかき消されてしまっていいのでしょうか。

壊したものは、元には戻りません。

今僕の耳元には、壊されるかもしれない命、ギリギリの危機に直面している命の声が聞こえます。
その現実が、目に映ります。

これは、インターネット上のヴァーチャルな出来事ではありません。
テレビの前で起こっているストーリーではありません。
僕たちが当事者として関わっている世界で起こっている出来事です。

僕たちの世界から、僕たちの命から、僕たちのつながりの中から、
何かを消しさるべきか、壊すべきか、守るべきか、進めるべきか、止まるべきか、戻るべきか、、、、
新たな声が出てこなければ、現実はこのまま進むのです。

今すぐに戻ることはできなくても、止まることは出来るでしょう。

田名埠頭に集まる人びとは、実際に止めてくれています。
生活を削り、何かを犠牲にしながら、ブレーキのように体を張って、何とか止めてくれています。

その車輪を再び動かそうという意志が存在し続ける限りは、
彼らによるブレーキは、摩擦を生み、疲労を生むかもしれません。

阻止行動は、差し迫る危機を、破壊を、先延ばしにするための方法であり、
先延ばしにしてもらったおかげで用意された時間を、有効に使えるか、無駄にしてしまうのかの選択は、
現場にいる人たちではなく、その現場を見たり、聞いたり、知ったり、感じた人たちに委ねられています。

今ならまだ間に合うと感じます。

今なら僕も、希望を感じることができます。

それぞれの持つ、多種多様な「自分に出来ること」が積み重ねられていった先に、
今と違う状況、雰囲気が生まれることを願います。

そして、
新しい雰囲気の中から、今はまだ見ぬ新しいアイデアが生まれ、
新しい方向に命が連帯していけることを願います。

あらゆる場所で、あらゆる想いが、その存在を認められることを願います。

私たちの想いを守れるのも、命を守れるのも、私たちしかいません。

シーカヤッカー原康司君による「不安を勇気に変えてほしい」という言葉が、想いが、一人でも多くの人のスピリットに届けられるように願います。

| コメント (13) | トラックバック (0)

2009年1月 5日 (月)

一年の計は・・・

みなさま

明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします

今日は1月5日です。

この数日は、久しぶりに、ワークショップもイベントもない日々。

寝て起きて食べて寝る、起きて食べて、合間に初詣、みたいな日々です。

が、旧暦で言うと、今日は、師走十日です。

まだ年が明けていないわけです。

しかし、それでもこの数日間は、ぱったりと仕事の連絡が途絶え、人の流れが変化していくのを感じるにつけ、やはりここは大きな節目だな、と実感します。

人間が作った仕組みの影響力に、善も悪もなく、素直に感動しました。

携帯電話が鳴らず、メールが殺到してこない日々。

冬至から陰と陽の流れが折り返した10日後にやってくる、活動停止の時期。

止まることで流れ込んでくる様々な記憶を、じっと見つめていました。

この1年の間にしてしまったこと、出来なかったこと、忘れていたこと、気づかなかったこと、気づかないふりをしていたこと、見過ごしていたこと、見ないふりをしていたこと、、、動いていると見えない、色々な、大事なこと。

改めて、普段の自分の生活がスローライフとはほど遠いな~、としみじみ痛感しています。

仕事が立て込んでいるから追い立てられているのではないのです。

どんなに仕事が立て込んでいたって、リラックスしている人は、リラックスしています。

どんなに移動が多くても心は静止している人を、僕は知っています。

自分の心が忙しいから、物理的にも忙しくなるのでしょう。

さらに言うと、自分の意識が、このような状態を、呼び寄せているのです。

本当に100%、世界はすべて、自分の意識の投影であると、痛感します。

人のせいにしていたら、外界のせいにしていたら、どんどん本質から遠ざかっていくのでしょうね~。

分かっているつもりでも、ついつい原因を外に求めているな~と、反省しています。

旧暦の正月以上に、このサイレントな日々は、ありがたい気づきを頂くチャンスかもしれませんね。
(人間社会が静かになるのですから。)

そして、そんな「ストップメディテーション」な日々のおかげで、自身の中にある問題のありどころが、芋づる式に色々と見えてきています。

ありがたいことに、その上で、今は、まだ、師走です。

師走は、「為果つ(しはつ)」という言葉を語源に持つ、と聞きます。

突っ走るのではなく、やり残しのないように始末をつける、ということです。

ほったらかしにしてあること、手をつけっぱなしにしてあること、整理がついていないこと、、、、ありますあります。

走るどころかじっととどまって、やり遂げる、(または、やり遂げるという決意をあらためる)ということでしょう。

次の新月、太陽と月が陸まじく共に昇ってくる睦月一日(元日)まで、始めた事をきちんと輪にしていく作業を、大事にしていきたいと思います。

書いていて分かってきましたが、、、グレゴリオ暦の年始のタイミングにわが身を振り返り、気持ちを整え、そして、「為し果たすもの」を見極め、そこから約1月かけて、整理整頓して、新しい季節に備えていく。
そして睦月一日に、新しい志とともに、太陽と月の調和の朝に向かって、手と手を合わせて挨拶をする。

グレゴリオ暦と旧暦の両方を肯定することで、そのような素敵な流れが見えてきます。

双方の暦の恩恵に感謝します。


繰り返しますが、昨夜は上弦の月。

ということで、今は潮のなだらかな小潮の時期ですから、気持ちを沈めて、心の水面を見つめるには最適でしょう。

今日から、もう21つ寝ると、お正月。

その間じっくり、己を見つめていきます。

尚、来年(平成二十一年)の干支は己丑(つちのと・うし)です。

十干の「己」は、曲ったものを伸ばす、絡まったものをほどく、という意味があるそうです。

確かに、言われてみると、今の自分に必要なことは、そのようなことだと感じます。

ていねいに、ひとつひとつ、ほどいていく。

プラスとマイナスが混在している世界観・価値観を、ゼロにしていく。

物事をあるがまま、本質のままに見れるように。

本当の意味での謙虚さを身につけ、世界の美しさ、生命の美しさを、素直に讃え、慈しめるように。

そのような一年でありたいと、切に願います。

ワークショップとか、イベントとか、移動を続けながら過ごしていると、なかなか批判や注意を受けにくいという難点がついてまわります。

「ま、気になることもあるけど、どうせもう会うか分からないし、言わなくていっか。」みたいな。

ぜひ、言ってください。

また、そのようなことを言いやすいような、やわらかい人間でありたいと思います。

みなさま、これからも、さらなるご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

よい一年でありますように。


| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月26日 (日)

たまには暦と五行の話を

11月7日の立冬を控え、秋の土用期間に入っています。

「土」は、五行の木・火・土・金・水の中心です。


五行にせよ、陰陽にせよ、暦にせよ、実践と検証、体験と気づきの繰り返しによって、
理解が深まっていくものでありますので、
あくまでも現時点での理解の報告になりますが、以下にシェアします。

参考にしてください。

僕に陰陽五行を教えてくれたのは、愛知県春日井市の「十字の漢方」代表の宮崎晃太郎先生です。

治すということ、健康ということに、純粋な愛と情熱を持っている方で、心から尊敬しています。

彼から学んだことと、自身の実践と気づき、そして、いくつかの文献からの知識を交えて、お伝えします。

陰陽も五行も、暦も、それぞれは「答え」ではなく、物差しであり、測り方の例であり、法則の紹介です。


「ボールを上に投げたら落ちてくる」

「太陽が昇れば、そのあとは降りてくる」

「息を吐いたら緩む、吐いたら吸う、吸ったら引き締まる」

というような、法則、です。

ですから、これをすればオッケイということは、ありません。

そして、「これはいい」「これは悪い」という善悪も、ありません。

目的があり、達成する手段があるとして、
願いがあり、かなえる方法があるとして、
その目的や願いや、「どうなりたいか」「どうありたいか」があって、初めて、
その方角に向うための手段や方法は機能します。

この法則を因果という人もいるでしょうし、「引き寄せの法則」という人もいるでしょう。

言葉が違っても、同じことです。

ヴィジョンクエストが大事だ、ということは、そういうことですし、
13の月の暦を使うとシンクロニシティが増えるように感じる人が多いのは、
自分自身との対話が分断されずに継続するようになった(自分の内なる声に耳を傾けるようになった)から、
ではないでしょうか。


「引き寄せの法則」という言葉が、広まってきていますので、その中の言葉を借りると、
宇宙はすべて「エネルギー」で出来ているということができます。

このことを、「すべては愛で出来ている」と表現する人もいるでしょうし、
「宇宙のすべては音である」という人、
「宇宙のすべては波動である」という人、
それぞれの指している対象は同じであっても、
使う言語が違う、ということでしょう。

そして、このエネルギーを、
求心的なエネルギーとしての陽、
遠心的なエネルギーとしての陰、
としたのが、「陰陽説」です。

陽:収縮、下降
陰:拡散、上昇

ともいえます。

そしてさらにそれを細かく分けていくと、2→4→8→16→32→64になります。
これが六十四卦です。

そして、2→4として、中心を加えると、
陽:木、火
中庸:土
陰:金・水
となり、五行が生まれます。

さて。

五行の説明は、今日はこれぐらいにしておいて、、。


今は土用です。

五季でいうと、春・夏・秋・冬のそれぞれの終わりの約18日間(1年間に約72日間)が土用にあたります。

「土」は、五臓でいうと、肝・心・脾・肺・腎の「脾」にあたります。

「五常」でいうと、仁・礼・信・義・知の「信」です。


食べ物のエネルギーを体中の内臓に分配する役割を持つ「膵臓」が「脾」の役割を担うと言われています。

土用の期間は、ちょうど体の中心にある、胃と膵臓を養う時期です。

「ひ」という音は日、火、に共鳴しますし、

「い」という音は「いのち」のい、「いき」のい、「いきる」のい、として響きます。


天地の真ん中である大地のあたりにある野菜や、胃の形をした野菜(さつまいも)が、食薬と言われています。

色で言うと黄色です。

かぼちゃや玉ねぎなどです。

あとは玄米と味噌。

でんぷんの自然の甘味は、胃をゆるめてくれます。

白砂糖は、急激に胃に作用するので、痛めてしまいます。

また、白砂糖をとると、血糖値をさげるために膵臓が多量のインシュリンを出す必要があるので、
やはり負担をかけます。

口が臭い人の多くは、白砂糖依存症であったり、極陰性のコーヒーや紅茶を常用しており、
胃に負担がかかっていることが多いようです。

五常の「信」も、まさに自分自身の中心。
胃、脾が弱ると、自信がなくなったり、
自信がなくなると、胃が弱ったりと、対応しています。

五穀で言うと、土に当たるのは「米」です。
漢字のとおり、中心にエネルギーを集める働きをしてくれます。

よくかんで、餅のようにして、消化酵素を混ぜ込んでおくと、一緒に食べた他の食物とうまく混ざって、
ちょうど草餅のような状態で各臓器を巡るので、吸収もよくなります。
ここに、天然塩(にがりの入っている塩)で作った味噌や醤油、梅干しなどの発酵食品があると、
ばっちりです。


土用の期間は、じっとする期間とも言われていますので、
よく噛むということは、落ち着いて瞑想的になるにも、いい所作ですよね。

今日は宮崎に向かってフェリーに乗りますが、
土用の養生と冬への備えで、お弁当は、蒸したサツマイモとカボチャと玉ねぎ。
ご飯は、雑穀と黒米と玄米とひじきを炊いたご飯です。
水筒の中身は根っこもの、タンポポコーヒーです。

尚、冬は木・火・土・金・水の「水」に当たります。

五臓でいうと「腎」です。

水は下に落ちる性質があるように、体の一番下の方にある臓器である腎臓・膀胱を養生する時期ですし、
逆に、負担がかかりやすい時期であるともいえます。

冬の寒気は、下に落ちますので、腎や足腰が冷えるわけです。

食べ物でいうと、大地の下の方にあるものとして、
自然薯やくず、大根、ニンジンなどをとるといいと言われていますし、
陽性の食品(色が濃かったり、濃縮していた李するもの)である黒いもの(黒ゴマ、黒米、黒豆など)をとったり、
足首やふくらはぎをマッサージしたり、よく歩く(足首を動かす)とよいとされます。

腎は、恐怖心と対応していますので、腎が弱ると恐怖が増したり、
恐怖心に振り回されていると腎が弱ったりします。
(恐怖の正体を掘り下げ、向き合い、手放す好機ともいえるでしょう)

ペットボトルや缶飲料や油ものも、血液やリンパをにごらせるので、体の水をクリアにすることの妨害になります。
(白砂糖入りだとさらに)

世の中で起こっている出来ごとに対して自分がどう反応しているか、は、
自分の内臓がどのような状態になっているかと対応していると、実感します。

世界は完全に、自分の映し鏡ですね。

環境や平和を唱えながら、自分自身の心身を見つめようとしなければ、
当然そこには矛盾や摩擦が起こるでしょう。
(何度も何度も、そのことを味わっています。苦笑。)

自己犠牲に基づいた奉仕は、本当の奉仕(ライトワーク)にはならないと、
自分の経験を通じて、僕も気づきました。
よくよく考えれば当たり前のことです。

最も身近な環境は自分の心身なのですから、
この環境を、オーガニックで、ピースで、喜びに満ちたものに出来なければ、
世界の平和も調和も、うたえたものではないわけです。

世界と自分は、別々なものではなく、つながるひとつのもの。

自分をケアしてから世界を、でもなく、
世界をケアしてから自分を、でもなく、
両方をひとつのものとして捉えて、世界とつながる最も身近な母なる大地である自分の心身を、
存分に存分に、存分に愛していきましょう♪

感謝 拝

| コメント (7) | トラックバック (0)

2008年10月18日 (土)

祝島茶会@カンタ・デル・ソル

ずいぶん日にちが経ってしまいましたが、、、

9月25日に、和歌山のカンタ・デル・ソルというお店で「祝島茶会」が開かれました。

僕が昨年の11月に撮った祝島の映像を見ていただき、現地の状況を伝え、語らいました。

15人ほどいたけど、全員が、思い思いの言葉を話しました。

僕は、一人が一方的に話す場もいいけど、
全員が何かを話せる雰囲気がとてもとても好きです。
そこから学ぶものは、広がりのある、深いものとして自分の中に入ってきます。

このお店のスタッフのうちの二人、いまちゃんといとうちゃん、は、神舞の際に祝島を訪ね、
「祝島市場」の売り子さんの手伝いもしてました。
しっかり馴染んでたね♪

その後、ダイドックの原君と、錦川下りガイドの吉村けんちゃん主催の「瀬戸内の海と川と平和を守るウォーク」にも参加され、
熱い思いを胸に和歌山に帰ってきたようです。
(※すさまじく美しい錦川にダムを作ろうという計画があります。詳しくは上のブログより。)

しかも、カンタ(2階)の1階のフロアはカヤックを扱っているということで、いつか和歌山からカヤック部隊が行くかもよ~。

店長のけいこさんとも、いずれヨットで田の浦に行きましょう、と意気投合しました。
もし来年、埋め立てをするなんてことになったら、関西から大船団が押し寄せることになるでしょう。
中電さん、心の準備お願いします♪

でも出来れば、ただただ自然を味わうために、訪ねたいものです。

尚、カンタ・デル・ソルでは、第二回「祝島茶会」を12月12日に行います。
イチニ、イチニ、と船を漕いでいきます。

そういえば、カンタのある場所からすぐの港は、神武天皇が上陸した場所だと言われています。
その流れをを逆行して、建設計画止めるためのエネルギーを送りましょう。

さて。
今回の茶会の様子を紹介します。

カンタのスタッフの皆さんで作ったフラッグ♪
寄せ書きして、祝島に送ります。
祝島の皆さんへのメッセージだけでなく、
島民の方々がアピール、抗議活動をする時に「反対しているのは祝島の人たちだけじゃない」と伝えてもらうためにも。
Ca390553





こちらが、当日のメニュー☆

・無農薬びわ茶

・祝島の天然ひじきのスープ

・うにパスタ

・干したこを使ったたこ飯

・たこマリネ

・祝島のタコと和歌山の無農薬野菜のラタティーユ
(「原発がこわい女たちの会」松浦さんの野菜。反原発のコラボレート!)

・空心菜
Ca390557







Ca390556







Ca390561







Ca390562






デザートにはびわ茶ゼリーも付きました♪

次回は、今が旬の祝島のさつまいもを使ったメニューを検討中です。

祝島の食材の活かし方を考えることも、島の貢献につながります。

祝島市場の山戸君も、島民だけでは思いつかない製品やレシピのアイデアが欲しいと言っています。

シュプレヒコールを上げるだけが反対運動なのではなく、
島のものを感謝していただくこと、生産地と生産者と直接つながることは、
なんのために反対をしているのか、を見失わずに足元を見つめる助けになると思います。

そして、離島の暮らしを見つめていくことは、島国に住む僕たちの未来を見つめていくことに直結すると、
しみじみ実感します。

もちろん、具体的に、原発とどう向き合っていくか、そこを直視していくことが前提になりますけどね。
目の前の現実から逃避するのではなく、先を見つつ、足元を見つつ、目の前の一歩を歩みたいものです。

海は私たちを隔てるのではなく、つないでいるもの。

和歌山の人たちの温かい思いが、祝島につながっていきますように。

そして、原発を目の前に苦悩し、葛藤するひとりひとりの未来を明るく照らしますように。


| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年10月16日 (木)

月の話はつきない

長月の満月。

美しいですね~。

ちなみに、長月とは夜が長くなる「夜長月」の略だそうです。

以下、「旧暦日々是好日」より引用させていただきます。


また、長月の十三夜は「後の月見」とされ、仲秋の名月に並ぶ月見の好日だった。
片方しか見ないことを「片見月」として嫌ったほど。

この日は僕は、福岡の秋月で暦の話をさせていただきました。
空が広く、月が遠くきれいでした。

写真:秋月の秋桜(コスモス)
Ca390587







旧暦九月九日(今年のグレゴリオ暦:10月7日)は、重陽の節句です。

分つ事の出来ない奇数を天の数、陽数とし、
分つ事の出来る偶数を地の数、陰数とする考え方に基づき、
陽の数の極みである九が並ぶ九月九日を重陽の節句としました。

この節句は菊の節句とも言われています。
もしかしたら、「きく」という言葉も、この季節に咲くことから「くく(九九)」→「きく」と名付けられたのかもしれませんね。

この日は、長崎では「長崎くんち」と呼ばれています。
丁度この日に長崎で「六ヶ所村通信no.4」の上映をさせていただき、町の賑わいを楽しむことができました。
長崎くんち

長崎では旧正月にあわせて「らんたんフェスティバル」が行われていたりしもします。

長崎にある「月の美術館」の館長であるヤマサキユズルさんは、「月の会長崎」も主宰されており、そちらの会員で作っているダイアリー「長崎月手帳」は、かなり秀逸です。

なぜ長崎で、旧暦が大事にされているのか。
月が愛でられているのか。

ひとつは、船の文化にあるでしょう。
そしてもうひとつは、大陸との交易が続いていたことにもあるのでしょう。

しかしそれらは、あくまでも頭で考えての憶測です。
これからも通い続け、出会い続けることで、色々と分かってくることがあるでしょう。

日本という島国は、本当に奥深いですね。

歴史の再検証、文化の再検証が、「私たちは何者であるのか」というアイデンティティを取り戻すことにつながると、旅の中で気づかされ続けています。

それにしてもこの秋に改めて、月ってたまらないな~と、月好きな自分を再認識しました。

祝島で見た月も、サイコーでした♪

| コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月19日 (金)

jailer

 「music is love」

ハウスの黎明に大きく携わった、知る人ぞ知るプライベートパーティ「the loft」のデヴィッド・マンキューソの言葉。

「最も好きなDJは?」と聞かれたら、僕は迷わず彼の名前を挙げる。

インドのヴィーナー奏者ハズラト・イナーヤト ハーンは、著書「音の神秘」の中で、

「宇宙は音であり、つまり愛である」

と言っていた。

僕は音楽からたくさんのことを学んでいるし、たくさんの恩恵をいただいてきた。

「どうして原発や再処理に関わるようになったのか」
昨日、プロサーファーの木下デヴィッドさんに質問をされた。
「地元に核施設があって・・・」などと説明をしたけど、電話を切った後も、なんだかしっくりこなかった。

そして、ついさっき、ふと思い出した。

それは、ひとつには、音楽からの影響が大きいです。

あらゆる面において、音楽が先生だったと言えるかもしれない。

政治や文化、歴史についても音楽から学んだ。
歌詞やインタヴューも読んだし、人によっては自叙伝を読んだりもした。
関連する映画を観たりもした。

Bob MarleyやPeter Toshの言葉からジャマイカの情勢を知った。
先住民差別、迫害、情報操作、マインドコントロール、グローバリゼーションの波。

ハウスやテクノといったダンスミュージックの文化の背景からも、
思想管理からの脱却や抵抗の歴史が透けて見えた。

マイルス・ディヴィスは、白人による黒人に対する人種差別にだけでなく、
黒人による白人に対する差別に対しても、はっきりと自分の意志表示をしてきた。

黒人向けのバーのオーナーから
「白人のミュージシャンを連れてくるとは何事だ」
と文句を言われたマイルスは
「こいつが白い肌だろうが緑だろうが、こいつがビル・エヴァンスであるかぎり、おれは雇う」 
とはっきり答えた。

ジミ・ヘンドリクスは1969年のウッドストックで米国国歌を爆撃機の疑似音などとともに激しく演奏した。

マイルス、ジミヘン、カーティス・メイフィールド、マーヴィン・ゲイ、ギル・スコット・ヘロン。
アメリカ、イギリス、ドイツ、ジャマイカ、キューバ、メキシコ、ナイジェリア、エチオピア。

無意識にだけど僕はずっと、音楽の世界から世の中を、歴史を、見てきたみたい。

さて。

マヤに、InLakechという言葉がある。

英語にすると I am another yourself  となる。

あなたはわたしであり、わたしはあなたである。

僕たちを騙そうとしているあなた。

おとしいれようとしているあなた。

監視しているあなた。

支配しようとしているあなた。

あなたはもうひとりのわたし自身。

わたしは自分自身の自由を祈るとともに、あなたが自由であることを願い、祈る。


以下に、最近お気に入りのシンガーの曲を紹介します。

ナイジェリア出身の女性シンガーASHA。

曲名は「jailer(看守)」。

声もいいし、楽曲もいい。

この数年、アメリカ在住のシンガーの新作に素晴らしいものが多いと感じる。

国内情勢の行き詰まりを表すかのような、渾身のメッセージが続く。

闇が濃くなると、光は強まるのだろうか。

「陰が極まると陽に転じる」

分裂のエネルギーはもういいです。

やっぱり核融合エネルギーによる太陽系に生きている以上、融合のエネルギーで生きたいです。


Am in chains you’re in chains too
I wear uniforms, you wear uniforms too
Am a prisoner, you’re a prisoner too Mr Jailer

わたしは鎖の中、あなたも同じ
わたしは制服を着て、そうあなたも同じ
わたしは囚人なの、そしてあなたも同じよ、Mr. Jailer


| コメント (1) | トラックバック (0)

2008年9月15日 (月)

我々は信じる

 


  我々は信じる。少なくとも、あなたは目ざめようとしている
  と。そして我々は確信する。あなたがすぐ行動を起こすこと
  によってのみ、我々を次の大事故へと追い立てている、この
  欠格と不法、原子力産業の傲慢と政府の無神経さを止めるこ
  とができるのだと。

      THREE MILE ISLAND事故に際してのUCSの意見広告
            (UCS=アメリカの「憂慮する科学者同盟」)

         


  われわれは もういちど
  もとの道へ戻ろうとしている。
  力をとりもどし
  現代生活と呼ばれる虚構と
  不誠実さにみちた生活から離れて
  いかに生き  
  どうしたら自分に正直でいられるかを
  われわれは もういちど
  学習しなおしているのだ。

           -ローリング・サンダー
(「ネイティブ・マインド」北山耕平・地湧社)より

| コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

ACT | EVENT | MOVIE | NEWS | RADIO | REPORT | スケジュール | 日記